カノッサの夏

カノッサの夏1

神戸に行くのである。

1999年9月21日、朝9時7分発の新幹線で東京を発った。

大学の地理学研究室の調査に参加することになり、総勢33人が5班に分かれて、平成7年1月17日の阪神淡路大震災から5年、どの程度復興がなされているかをフィールドワークするのが目的だ。わたしの入った班は、商店街の復興状況を調べる班で、主に長田区の商店街を調べた。

初日ということもあり、調査は一先ずおいて、神戸を準観光することに。北野で異人館をちょっとながめ、三宮の駅を抜けたところの震災館で簡単な見学をし、神戸市立博物館に入った。

さてこの博物館がすごい。なにがすごいというと、教科書やら戦国ものの挿絵に必ず使われる絵がゴロゴロしているのだ。信長、ザビエルの肖像画、外国船の出航と日本上陸を描いたついたて、まあ豊富にあることあること。

戦国時代の外国のイメージがとても面白く、外国の家は中国風の2階建て、最上階には祭壇があって、キリストの絵が置いてあり、1階には赤ん坊のキリストにマリア、ヨセフが書いてあり、キリスト教に対して、狩野派の絵師たちが結構知識を持っていた事がわかる。外国の町は象が人を運んでいたり、中国とインドがごちゃまぜになっている。

さて、出航した黒船は日本につくと、虎やらジャコウネコ、洋犬など動物をたくさん運んでくる。南蛮人は眼鏡をかけていたり、アラブ産の立派な馬に乗っていたりと、人間だけでなく、動物も多く描きこまれている。

日本には商店もあるが、南蛮寺もちゃんとあり、イエズス会にフランシスコ会の修道士たちがたむろして、中では日本人信者が祈りを捧げている。

とまあ、あきもせず屏風の前で30分ほどながめていたのでした。

博物館を出ると、南京町で夕食がわりに食べあるき、有名なニクマンは、まあまあというところで、なによりうまかったのが、チェーン店神戸コロッケの本店の神戸牛コロッケ。これは絶品。

泊まりは芦屋の奥池というところにある、ユースホステルでした。 ユースは5、6年ぶり。

カノッサの夏2

22日。2日目は調査。

神戸市役所の産業振興課で話しを伺い、そのあと60以上の店が大火で消えた鷹取商店街に向う。

市役所はきれいすぎる。24階の展望台には神戸空港の模型が置いてあり、平成17年の完成に向けて動いていた。

神戸には商店街と同時に、小売市場という屋根のついた市場風に雑居したものがあり、生鮮食料品の多くはそうした市場の中にあったそうだが、多くが焼けてなくなり、復興する時も、それぞれで支払いをするのではなく、レジで一括して支払いをするセルフ化が進んでいるそうな。若いお客はあまり人付き合いをしたくないので、そういう方向に進むらしい。

さて、商店街の会長さんの話し。

印象深いのは、神戸は復興ではなく、復旧したばかり。戦後50年で築いたものが5年で復興できるわけがないという言葉。

長田区は高齢化が進んでいる地域、震災前から徐々に人口も減っていた地域だが、震災によって若い人はほとんど外に出てしまって、全体の売上が半分近くに落ちこんでしまったそうだ。さらに地場産業であるケミカルシューズも半分が廃業を余儀なくされ、地域の核になるものも失われつつあるそうで、たいへん苦しい状況にあるらしい。さらに店を直した時に借りた金は5年間、返済に猶予があったが、それも来年から返さねばならず、とてもじゃないが無理だということ。

鷹取商店街の近くには、ダイエーも入っている大正筋商店街もあり、多くのお客がそちらにとられている。起死回生の策として、1階に生鮮食料品のスーパー、2階以降がマンションのビルを建て、底上げを図るらしく、すべては来年5月の記念碑などの式典からだそうだ。

この日、六甲の青年センターに泊まる。神戸大学生を相手にしているとおもわれる食堂でお好み焼き定食630円を食べる。美味。

カノッサの夏3

午前中は三宮で調査、午後は淡路島に渡る。

台風情報がとても気になる。この日、23日は宮古島を越え、九州にむかって北上中で、下手をするとを24日は関西直撃かもという不安に包まれる。

三宮センター街で客層チェックをおこなう。あくまで主観で女性の年令当て。12時から30分で700人近くをチェック。

その合間に、ジュンク堂三宮店をチェック。地下1階の広いフロアーに、ぎっしり専門書がならんでいる。池袋よりは使いやすそう。でも、西洋史の品はおんなじか、ちょっとおちるかな。

それよりも後藤書店。

センター街を三宮から入ったすぐのところにある古本屋だけど、品揃えは随一。最近の古本屋がどこもここ10年くらいの本を千円引きで売る程度のBOOK OFF化している中で、昭和10年ころの真に古書と呼べるものを横積み縦積みでおきまくり。西洋史はだめだけど、フランス文学の充実ぶりは目を見張るものがある。昭和17年の佐藤信一郎のヴィヨン研究の翻訳ものとかごろごろあるし、恐らく神戸大学の中世フランス文学の先生のものなんだろうなとかおもいながら漁る。

そのとき、啓示が降りる。アレをさがせ。アレですか。わたしが上智大学で全部コピーし、南海堂で5年前から目をつけながら、定価400円が8200円になっていることに驚いて、いつか買おういつか買おうとおもっているうちに今年の正月に消えたアレを。

宗教コーナーへ向う。縦置き背表紙に目を走らせるがない。縦がないなら横を見ろ。下から2段目、膝より下のとこに、縦置きの上のすきまに入れてある横置きの小冊子を掴めば、まさにそれは赤表紙。勝利確信。題名は『中世末期教会史』。大戦果。もう逃がさないよハニー。値段を言ってごらん。なに、きみは1500円なのかい。素晴らしい。いただきだ。

しかし、この素晴らしさをだれも共有してくれないのだった。

淡路島に入り、速攻で天気予報を見るが、やばすぎる。九州上陸し、熊本など通りながら、九州西岸を駆け抜ける模様。

カノッサの夏4

24日。台風は山口に再上陸し、淡路島もすごいことになりつつある。山陽新幹線は広島以西前面不通。

そんなところに、昼前に明石大橋が閉鎖されるという情報が入り、調査を率いる教授は、本州への早期撤退を決定。結局、淡路島の断層はみることできず、泊まっただけで出発。そして、予定よりも5時間以上早い、11時に西明石で解散となった。

さて、わたしはどうするか。とりあえず六甲近くの住吉にいる従姉弟の家に遊びに行く。調査のあと、親戚まわりで宿代を浮かす作戦。

神戸の土地柄はほんと坂道だらけ。とりあえずタクシーで行く。 そこで1歳4ヶ月の赤ん坊と遊びながら台風情報とにらめっこ。

結局、夕方には新潟沖まで行ってしまうという猛スピードのため、風も収まり、一路大阪の友人のもとへ。そこで、うだうだ食事しつつ、友人宅でGTAという素晴らしいゲームを知って夜通し遊び通したのであった。

カノッサの夏5

25日。すでに5時くらいから明るい。

新大阪駅前のマンションを7時半に出ると御堂筋線でなんばへ、そこから南海高谷線で橋本へと向う。ついに和歌山上陸。

橋本で親戚にあい、そのまま高野山に車で連れて行ってもらう。

高野山への道は険しい。グネグネとまがり、どこをみても高野杉。緑がまぶしい。2時間ほどかかり、その間、眠ったりして酔わずに済む。

大門をみて、金剛峰寺へ。山の上とは思えないほどの商店街を抜けて、いくつものお寺をあとにして、金剛峰寺の門を入る。中にあがってもよいらしく、見学。秀次の自刃した部屋などは、門を入ったすぐのとこで、こんな見通しのよいところでとは、意味なんだろうとか考えながら、ぐるりとまわる。狩野派の襖絵が豊富。

台所には蛇がいたが、まあ殺生するのもされるのもヤなので、見てみぬふり。

そこから刈萱堂という親子の悲劇物語を描いたところを見学。ここの人が親戚の知り合いという事で、講釈を聴かせてもらう。ある殿様の奥方が夫の愛人を殺してくれるよう部下に頼み、その部下は愛人を殺すのをためらって近くの女性の首を切ってそれを、奥方に差し出すが、やはり女性を切ったことの後悔で、その武士は高野山に出家してしまう。父を探す妻と子は高野山までやってくるが、母は女人禁制の前に足どめをくらい、息子一人が高野山へとのぼる。だが、再開した父は息子を認めず、息子は悲しみのまま高野山をおりる。もどってみると、母は亡くなっており、あまりの悲しみに息子は高野山で出家し、父と四十年以上に渡って子弟関係で暮らしたそうな。

高野山の墓地が奥の院。入り口近くにはヤクルトだの松下だの、いろんな会社の墓がたっているが、ちょっと奥にはいると、戦国武将がごろごろ。毛利家、前田家二代目、石川数正、まあいろいろあったけど、一番大きなのが、秀忠の妻なんだそうな。

高野山で精進料理をいただくと、次に向ったのが、奈良の秘境、十津川村。日本一のつりばしが有名で、長さ300メートルでゆれるゆれる。とてもいい感じ。地元の人は板四枚を並べたこの橋を、自転車で通り、郵便屋さんは二輪で渡るそうな。すげえ。

そして、橋本に戻ると、「もみすり」という乾燥した稲のモミをとって選別して袋詰にする作業を手伝いました。乾燥機から、巨大なジャバラをとおって、モミがらのとれた米は最後にむかしながらの千石通しで選別して、15キロ入る桶に2杯詰めては30キロごとに袋に計って入れるという作業の繰りかえし。25、6袋やって2時間ほどの作業でした。農業は力仕事だ。

カノッサの夏6

さて、26日。

利生護国寺、隅田八幡神社、郷土資料館、紀見峠とまわる。

利生護国寺は、隅田氏の菩提寺として栄え、平安時代の大日如来の安置されている寺で、入り口には秀吉が高野山に来た時に馬をとめたという太閤とめの松が残っている、いまではこじんまりとしている寺でした。

隅田八幡神社は隅田氏の戦勝を祈願したりした神社で、神社は誕生や勝利を、寺は隠居や死を分担する事で、すみわけができていました。この神社には「人物画象鏡」と呼ばれる踊る人や弓を射る人などを円状に描いた鏡が伝えられていて、周りに文字も書いてある事でたいへん貴重な品として国宝にされ、管理上の問題から、東京国立博物館にあるそうな。

むかしみた、土器の上で相撲をとったり、女をおいかけたりといいったミニチュアがついた土器があったけど、あの雰囲気を感じさせる品でした。

郷土資料館は学校の校長先生が館長になってから充実しているらしく、秀吉に応其が塩の市を橋本に誘致して以来、栄えた橋本のむかしながらの文物が多く残されていました。かんざしが豊富。

紀見峠は、高野山と大阪を結ぶ峠として、古くから栄え、参勤交代もこの細い峠をとったそうな。峠頂上付近には数学者岡潔の家などありますが、こんな車じゃなきゃこれないところにどうしてと、むかしの賑わいを知らないとおもわずおもってしまうような場所でした。

あと、銀水、金水の温泉に行ったくらいかな。桑田のセーブ。

カノッサの夏7

27日。

いろいろ見たし、仕事もたまっているので、帰郷を決意。

お墓参りをすますと、橋本をたつ。

さて、ひとつやりのこした事が。

それはジュンク堂なんば店の視察。

場所がまずわからんので、ハローページで住所をチェック。だが、千日町の住所がわかっても電信柱には番地がないし、地図もないしというわけで、なんとなくふらふら歩いていると、なんばグランドの前にドーンとあるではないですか。さっそく2階の人文コーナーへ。

目的はひとつ。人文コーナーのカウンターの裏には国史大辞典が常備されているのか?まず西洋史とキリスト教の在庫をチェックして、がっかりし、カウンターへ。店員4人はこっちを不信げ。あたりまえか。だが、臆せず、チェックの鬼。だが、そこには伝票やらなんやらがあるだけで、目録程度しかおいてないでやんの。不況の風はこんなとこにも押し寄せているんだなあ。

というわけで、12時4分のひかりで東京に帰ってきましたとさ。

ちゃんちゃん。

履歴


他を読む