騎士道の華
第十章 戦わずして敵を苦しむ仏王の謀略

カーンを陥れたのち、エドワード三世は、なお、直路パリに急行してこれを衝くの策を執らず、彼は艦隊を送りかえし、軍を率いて陸路からカレーに向った。これけだし、カレーがフランスの大海港で、拿捕船の巣窟だったので、これを海陸から攻めとって、もって拿捕船がイギリスの海岸に出没する事を防がんとの考えから出たものであったろうが、しかも戦略的地点の占領が、制海権を得る所以にあらざる海戦上の原則を了解しなかったことを証するものである。しかし、かかる原理の一般に認められるようになったのには、数百年を要した事とて、当時の人々が未だこれを察知しえなかったのも、また無理もないことであった。

さて、七月三十一日カーンを発したイギリス軍は、ルーアンの辺りでセーヌ河を渡る計画だったので、途中において一々要塞を襲うことなく、進んでリジューに至った。おりからフランス王フィリップの使節として二人の司教が来て、アキテーヌ地方をその父の時に領していただけ還付する、という条件の下に和睦せん事を申しこんだ。されど、エドワード三世は、予の欲するところはフランスの王冠で、アキテーヌ地方の如きは、予の力によって取ったところである、と答えてこれを追い返した。

かくて、王は、ルヴィエーを襲い、ルーアンに至った。けれども、ここは、サー・ジエッフレー・ハーコートの実弟のエブルー伯が、少なからぬ兵力をもって固く守り、保塁またすこぶる堅固だったので、王はこれに手を加えず、南方に針路を変じ、ヴェルノン、ポン・ド・ラルシュに迫って、これを焼いたが、橋はすべて破壊されていた。王は、さらにコントを陥れ、八月十三日ポアシーに達したが、ここの橋もまた破壊されて、橋杭のみ少し残っていた。王は留まること三日にして、橋を修繕してこれを渡った。

この時、王は太子をパリ付近にすすましめ、サン・ジェルマン・アン・レイ、モンジョア、サン・クルー、ブーローニュ、ブール・ラ・レンヌの各所に火を放たしめた。パリの人民は、その四方に迫る敵の焼打の火焔を見て、大いに驚き怖れ、彼らは口々に、『王何処にある、軍隊は何処にある、何故に王と王の軍隊とは、この敵を打ち退けて吾人を救わざる、かの焼けつつある諸市を救わざる、ああ、恐るべきイギリス人はすでに吾人の城門にあるにあらずや、武器を取れ、橋を破壊せよ、街区に石堡を築けよ!』とばかり、轟々としてかつ呼びかつ叫んだ。

時にフランス王フィリップ六世は、この敵のパリ近傍に迫り来たれるを見、この市民の恐々として騒ぎ立てる声を聞きつつも、泰然として動かなかった。彼は、初めエドワード三世に出しぬかれノルマンディーに上陸したことを耳にするや、少なからず驚いたが、直ちにアキテーヌ地方の敵を防ぐため、南方に派遣した軍隊に急使を発して、その幹部を召還し、また四方に人を派して、応援の急を促し求めた。故に彼は、破竹の勢いで進んでいるイギリス軍に対し、しいて兵力をもって抵抗せず、ただ彼らの進路に妨害を与えるのみで、その土地を荒らすに任せ、もって敵の行軍を遅々たらしめ、しかしてその間イギリス軍の規律の乱れるのを期待していた。

かかれば、フィリップ六世は敵の軍勢が都近くに迫って、傍若無人の挙動をなしつつあっても、敢えて驚く無く、衆愚の轟々として徒に喧騒するに耳をかさず、声をひそめてもっぱら味方の軍勢のここに集まるのを待ったのである。そのうちに、エノー卿ジャン、ロレーヌ公、フランドル伯、ブロア伯、ボヘミア王など四方から駆けつけ来り、その兵力たちまちにして敵の三倍に達し、軍威大いに振った。

ここにおいてか、フィリップ六世は、八月十四日にわかにパリより北の方サン・ドニに出馬し、そこに集中した味方の軍を統率して、もって大いにイギリス軍を迎え撃たんとした。すなわち、王はまず戦使をエドワード三世に送って、『足下もし戦いを欲せば、サン・ジェルマンとヴォージラの間、もしくばフランシュヴィルとポントワーズの間の地点において、予が指定する日の一を選んで、予と雌雄を決せよ。』と伝え、しかして五個の日を指定した。

イギリス軍は、その初め十分の勝ち目を有して、形勢極めてよろしきものがあったにもかかわらず、空しく途中に時を過ごした結果、フィリップ六世をして、意の如く兵をその手許に集めさす余地を与える事となり、今や、イギリス軍に三倍する兵力を擁するに及び、両者の地歩はたちまち逆転し、その時まで久しく防守の苦境にあったフランス軍は、にわかに進んで攻勢を示すに至ったのである。嗚呼、エドワード三世は、このフィリップ六世の挑戦状に接し、どういう答えをしたであろうか。彼如何に英邁なりとは言え、この局面を打開して、イギリス軍の形勢を、再び以前の順境に立ち戻らしめるのは、まことに容易ならないことであった。

第十章 了


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