騎士道の華
第十一章 全軍の渡河戦局の一遍

エドワード三世が、このフィリップ六世の戦使に接したのは、丁度ポアシーの橋の修復を終わり、その軍の一部がこれによりてセーヌ河を渡りつつある時であった。彼は、戦使のもたらすところを聞くや、心ひそかに自ら危機に入らなかったのを喜んだ程のこととて、いずくんぞ再び進んで敵の望むところにその身の投ずべき。彼は曖昧な返事をして戦使を返し、あたかも戦いを欲する状を装うて急ぎ北上し、ともかくソンム河を渡らんとした。すなわち、本陣は、ポントアーズ、オーチュイ、ポア、アレインを真直ぐに、一日十二マイルの行軍を敢えてしたのであった。しかして、この間に、エドワード三世は、かの打ちつづいた掠奪によって、甚だしく乱れた軍規を回復することに全力を注いだ。特に、彼はこの行軍中においては、教会に手をつけることを禁じ、サン・リュシャン修道院に火を放った者があった時、その発頭人二十人を捕えてこれを絞殺した。これによって、一軍大いに震い恐れ、軍規は再び厳粛にかえった。

かくて、六日間に七十マイルを過ぎて、エドワード三世は、八月二十一日にソンム河畔のアミアン府に達した。しかも、フィリップ六世もまた追撃の手を緩めず、かつ急使の伝令により、イギリス軍の未だ到らざるに先だってソンム河の諸橋を破壊せしめた。されば、エドワード三世は、到着の二十一日とその翌二十二日の二日間、軽歩兵をして河流の上下を偵察せしめ、ひたすら渡渉すべき個所を求めたけれども、さらにその効がなかった。右にこのソンム河あり、左に海あり、しかして背後には、我に三倍の兵力をもって囲われた三角の中へ押し詰められて、正しく袋の鼠の如き有様とはなった。

エドワード三世は、この場合における士気の阻喪を最も深く気づかい、部下の心を落さじと、すこぶる安心の風を装い、

『みなみな恐るることなかれ、吾人は従来神の助けをもって幾多の危難を脱した。予は、神と我が聖母マリア及び聖ジョージが、吾人に渡渉点を得せしめたまわんことを信じて疑わず。』

と説いて、もっぱら彼らを激励すると共に、一方捕虜のフランス人につき、渡河の地点もやあると、種々甘言をもってこれを誘ったけれども、流石に愛国心の盛んなフランスの騎士はもちろん兵卒まで、一人もこれを口にすることをしなかった。

やがて、オアスマンに到るや、イギリス人が莫大の賞を約したのに誘われて、コバン・アガシュと称する一人の農夫来りて、密かに渡渉点の所在を告げた。それはすなわち、ソンム河口のブランク・タークという所で、ここは河底が白堊脈であって、他の部分の如く泥深からず、干潮の時になると、一列十二人で進むことができると教えたのであった。

イギリス軍は、この夜ほとんど眠ることなく渡渉の準備をなし、昧爽出発してかのブランク・タークに急行した。急行してそこへ到着はしたが、しかも、潮はなお満々として、これが干るのを待たなければ、なんとする事もできなかったのである。しかして遥かに対岸を望むと、勇敢なゴドマル・ド・フェーが、六千人あまりの精兵をもって、イギリス軍の渡河を妨げんと、手ぐすね引いて待ち構えているのであった。ああ、かくてあるうちに、フランスの大軍がここに追い及んだならば、イギリス軍は如何に力戦したところで、ついに全滅の運命を免れることはできなかったのである。実にこれ危機一髪の間にあった。

エドワード三世は、すなわち、河岸に弓手を整列せしめ、干潮を待って、ノーザンプトン伯及びコバム卿の率いた、一百の騎士より成る決死隊を、この弓手の援護の下に進まして、しかしてエドワード太子の隊をして、これに密接して続き渡らしめ、王自ら幹部を率いて殿陣を固め、追撃し来たらば、これを防いで前隊の渡河を安からしめんとの段取りで、すでに早くその陣列を整え、敵の背後より迫って来ない前に速やかに潮の干ることを、一日千秋の思いをしてかつ祈りかつ待った。

時は刻々に移った。けれども、碧波緩く岸を打つ河口の水は、容易にその量を減じなかった。エドワード三世を初め、河流を凝視して、ひたすら干潮の時期到来を待つイギリス人の焦心苦慮は、まことにたとうべきようも無かったのである。しかも、時運は必ずしもイギリス軍に不利ならず、河水は次第次第に減じ始め、今少し、今少しと待つうちに、やがてこがれ尽しつつあったその時は来た。

いでこそ渡れ、との号令を遅しとばかり、死を決して戦闘に立った一百の騎士は一時にあげる『神と聖ジョージ』の叫び声と共に、猛然として馬を河中に乗り入れ、一気にこれを渡らんとこそ突進した。

対岸に待ちかまえたゴドマルは、それ渡すなと士卒を罵り励まし、かつ部下のジェノヴァの弓手をして、雨の如くその矢を放たしめた。これがために、イギリス方の多くの勇士は敢なき最期を遂げたが、こちらの弓手は、数においても技量においても敵に優れていたこととて、引っつめさしつめ射るほどに、かなたもやや怯んで見えたので、先鋒の騎士らは、この隙に乗じてしきりにこれを襲撃し、ついに対岸にと上陸することを得た。ここにおいて、エドワード三世は、その全軍に渡河を命じ、自らもまた殿隊をまとめて首尾よく河を渡った。しかして、イギリス軍の殿隊の今しこなたの岸を離るる時、幾何の距離をおくなく、フランス軍の先頭部隊は、彼を追うてその背後に現れた。嗚呼、もしこの時彼らが一時間早く着したならば、イギリス軍はほとんど全滅の不幸を見たに相違はなかった。イギリス方にとって、この一時間の遅速が何よりの好運であった。かくして、イギリスの殿軍は辛うじて渡り得たものの、しかも輜重までは間にあわず、その大部分は敵の手に落ちてしまったのである。

全軍の渡渉を終えて、ホッと息をついたエドワード三世は、さながら龍の顎を出た心地もしたが、彼は、上陸すると同時に、一部隊をしてゴドマル・ド・フェーの残兵をアブビルの方向に圧迫せしめ、また一隊をもって、河口のクロトアを占領せしめ、さらに一隊をブランク・タークに残してこれを守らしめ、かくて彼は翌八月二十六日イギリス軍の大部分を率い、クレシーの森にと達した。

エドワード三世は、なお本国との交通はなく、その窮境にある事以前と変わらないけれども、しかも、これによって彼は万死に一生を得たことを知った。しかして、彼は、この困難なる渡河の遂行により、さらでも大いに規律の回復した全軍の士気が、ために一層旺盛になったのを見て、これを利用すると共に、またクレシーの地の利を活用して、ここにおのれに三倍する優勢の敵と一戦を賭し、もって禍を転じて福となすの胸算を立てた。これ孫子のいわゆる『人にあらわして、しかして、我あらわれなき法』で、かくの如き境地にあって、敵のために戦いを強いられず、かえって敵をして我が注文に当てはめんとするエドワード三世も、また名将なるかな。

第十一章 了


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