騎士道の華
第十六章 王后の涙カレーの義士を救う

エドワード三世は、クレシーにおいて、寡をもってよく敵の衆を破り、みごとにフランスの大軍を全滅に帰せしめたが、しかし、かれは、この機会に乗じて長躯ただちにパリに迫ろうとはしなかった。これは、何故であったかと言えば、味方は勝つことは勝ったが、その兵は二万五千にたらず、ことに当時にあっては、ひとり戦術が進歩していなかったのみでなく、軍の補充、糧食の供給が容易でなかった事とて、パリの如き大要塞を完全に包囲するのすら困難で、いわんや僅かに三門の、極めて不完全な大砲をもってこれを撃ち、必死になって防御に力を尽くしているフランス軍を強襲することは、到底及び難く、さらばと言って、これを兵糧攻めにするというのも、なおさら難しい事だったからである。故に、エドワード三世が、クレシー大勝後、ただちにパリへ迫ろうとしなかったのも、思えば無理ではなかった。

かれは、長躯パリに進まんとはせず、この場合、まずイギリス海峡の最も狭いところで、ドーヴァーの対岸なるカレーを取り、ここを根拠地としようと志、軍に北行を命じた。九月四日軍はカレーに達し、これを攻めるのに先だって、降伏の勧告を試みた。

このカレーは小さな港で、その城壁の如きは、パリに比すればもとより堅しというに足らなかったけれども、その辺に沼の多いのを利用し、二重の壁と二重の堀をもって、かなり堅固に囲われていた。守将ジャン・ド・ヴィエンヌという騎士は、部下の兵士と義に勇む市民の協力によって、敵の攻撃いかに猛攻たりとも、容易くここを渡さんやと、固く城を守っていたので、エドワード三世降伏勧告をするや、かれは断固としてこれを拒絶し、さらに防御を厳にした。この様子を見てとって、強襲の益なきを思い、エドワード三世は海陸よりこれを囲み、もってその糧道を断とうと計ったが、前から多くの兵糧を集めて置いてあったのみならず、また巧みに封鎖をしている軍艦の眼を掠めて、穀物を密かに引き入れつつあったので、籠城軍はなかなか弱る景色を見せなかった。

守将のジャン・ド・ヴィエンヌは、かく防御に力を尽くすと共に、一方において、フィリップ六世に使いを飛ばして、しきりにその救援を求めた。フィリップ六世は、クレシーの大打撃を受けて、自ら行ってこれを救うことができなかったので、使いをスコットランド王のディヴィッドに送り、敵を牽制するために、イングランドを撃つことを請うた。

ディヴィッド王は、これに応じ、早速イギリスの境を侵し出したので、イギリスの方では、ヨーク大司教、アンガス伯ら、地方の兵を集めてこれに当り、十月十七日ついにネヴィルズ・クロスという所で、大いにスコットランド軍を破り、ディヴィッド王を虜にした。

かくて、その年も暮れてあくれば一三四七年とはなったが、カレーは防御手強くして、なお陥らず、それに加えて、イギリス軍中には病気が発生して死する者少なからず、あるいは長い包囲に退屈して脱走する者などもあって、その補充に対する、エドワード三世の苦心はいうべくもなく、果ては、殺人の囚徒を赦し、渡海せしめてその軍に加わらすに至った。

しかして、イギリスの海軍は、城兵が常にカレー付近の小さな河を利用して、密輸入をしていることを発見したので、さてこそと、杭を河中に打ちこんでこれを妨げたので、市はようやく食物に欠乏を来たし、守将は、ひたすらフィリップ六世の来援を求めた。ここにおいて、フィリップ六世王は、ようやくにして新兵を集め、カレーの救援に来て、七月二十七日カレーから数里のサンザットに着した。しかるに、これより先、城中からは一千七百人の老人、婦人、小児を外に出したので、これらの人々は、籠城軍と攻撃軍の中間に挟まれて、餓死するばかりであった。エドワード三世は、その窮苦を憐れんで、彼らに食物を与え、さらにその陣中を無事に通過せしめて、外に出さした。

この時、フィリップ六世は、エドワード三世に対し、講和談判を開きかけたが、エドワード三世の提出条件は、フランスの王位を捨てる代わりに、主権をもってアキテーヌを譲与せよ、というにあった。フィリップ六世は、これをいれず、臣下としてでなければ許すことはできない、と言い立てた。しかして、双方から四人ずつ騎士を出して、その決闘によってこれを決しよう、などという議もあったが、結局まとまらず、フィリップは最後になって野戦を申し込んで来たので、エドワード王はこれを承諾したが、さていよいよ決戦をするということになってフィリップは、その力の足らないのを察したのか、八月二日の昧爽、大かがり火を燃やし捨てたまま、ひそかに退陣してしまった。

城内では、ただフィリップ王の救援を力にして、辛うじて防御を続けつつあったのに、頼みに思うその援軍が、近いところまで来ていながら、何事もなし得ず、籠城軍を見殺しにして、空しく退却してしまったのを知るや、その失望落胆は、たとえ方もなかった。ことに、その時は糧食のすでに極度に達し、馬や犬さえも食いつくし、人々餓えに餓えて今は戦う気力も全く失せ果てたので、八月四日ついにジャン・ド・ヴィエンヌは城壁の上に登り、開城談判を欲する合図をした。

ここにおいて、エドワード三世は、かの太子の武道の師範たるサー・ウォーター・ド・マンニー、及びサー・ラルフ・バセットを送り、談判の衝にあたらしめた。ヴィエンヌは、開城条件として、守備兵及び市民の名誉をもって退去することを請求した。しかるに、マンニーらは無条件開城を主張した。当時にあっては、勝者が残酷だと、こういう条件の下に、守備の兵士を皆殺しにする事が多くあったのである。されば、ジャン・ド・ヴィエンヌは、しきりにサー・ウォーター・ド・マンニーの任侠に訴え、自己の提出条件に同意せられん事を請うてやまなかった。もとより、騎士道の真髄を得たマンニーの、なんで情けを尽くさであるべき。帰って、王に説いて、

『もし陛下、これらの勇敢なる人々を殺したまわば、仮に陛下の敵が陛下の堡塞を陥れた場合には、必ず陛下の勇敢なる兵士に対しても同様の処置を取らん。かくて、フランスにおいて、陛下の堡塞を守るべき兵士を得ることあたわざるに至らん。』

と言った。我が日本の武士道の理想から言えば、死守は珍しからぬことだったけれども、ヨーロッパでは、騎士道の最も発達した時でも、かかる懸念があったものと見える。されば、王も心動き、さらにサー・ウォーター・ド・マンニーを送り、

『もし主なる市民六人、首になめし皮の首枷を付し、徒跣、徒手して城の鍵を持ち来り、しかして、この六人の処分に関しては、無条件たる事を諾せば、開城を聴許せん。』

と伝えしめた。

これを聞いた城内の市民は、皆、今やいよいよ市の最後とはなったるぞと、いまさらのように恐惶して、いかなる人が六人の犠牲者となるべきかと、思い迷って、いずれも吐息を吐くのみであったが、この時、ユーステース・ド・サン・ピエールという一人は、すっくと立って、

『高き卑しき人々よ、もし少数のある者にして救い得る道あらば、かく多数の人々を餓死せしめんことこそ哀しけれ。この傷ましき惨禍を除きさることを得ば、我が救世主の御眼にも、大いなる功労と認めたまわん。予は、予にしてここに我が市民を救うために死せば、神より慈悲を垂れたまうべき事を確信するをもって、予は、六人の筆頭として、予自身を名指さんと欲す。』

と説いた。この言葉が終わると共に、これに励まされて、われもその犠牲者たらんと、たちまちのうちに後の五人もできた。

早速六人の犠牲者ができたので、彼らに条件通りの扮装をさし、ヴィエンヌは馬に乗って彼らを引きつれ、悄々として敵陣に入り、まず降伏の章として、その帯剣を解いて王に奉った。

王は、その前に跪いたかの六人を、甚だしい憤怒の面色すさまじく物をも言わずしばらくじっと睨み詰めていた。それと見て、太子エドワードをはじめ、かれの信任した騎士の面々は、かわるがわる王に、かの六人のものに憐憫を垂れたまえ、と請うて止まなかったが、王はなんとも答えず、

『断頭者を呼び出せ!』

と命じた。王后フィリッパは堪りかねて、折りから懐妊の身もうち忘れ、よろめき出でて王の前に跪き、涙と共に、

『嗚呼、優しき君よ、われわは君を見んために、危険を冒し海を渡り来つれど、いまだ一度も君に願い事をなしまつらず、今われわは聖母マリアの御子の御ために、またわれわに対する君の愛のために、ただ一つの願いを叶えたまいて、これらの者に憐れみを垂れたまえ。』

と声をしぼって哀願した。

王は、しばらく黙して王后を見つめつつあったが、ついに、

『貴婦人よ、予は御身がここにあらざりし事をこそ望まるれ。御身は、予がそを拒みあたわざるように、予に哀願す。されば、予は彼らを御身に与うべければ、よきにはからいたまえ。』

と告げた。王后は、かたじけなしと喜んで、かの六人の者をいたわり、その行宮に伴い行き、首にはめた盤枷を除き、衣服を与え、饗膳を与え、やがて護衛兵を付して、陣外遥かの安全なところまで送り出した。しかして、サー・ジャン・ド・ヴィエンヌその他の主だったものは、捕虜となったけれども、その部下の兵士は、すべて放免せられた。ただし、この一面の理由は、糧食少なく、彼らを養うのが却って邪魔だったからでもあった。

かくて、カレーは全くイギリス軍の手に帰したので、エドワード三世王は、カレーをすっかりイギリスの港としようとして、フランスの市民を、付近の他の諸市に移し、多くのイギリスの人民をここに移住せしめた。

エドワード三世の望みの通り、フランスの拿捕船の巣窟たりしカレーは、かくのごとくにして全くイギリスの市となり、ロンドン、ボルドー等の商船は、安んじて航海することを得た。けれども、この航海の安らかに行われるようになったのは、海軍の優勢なためであった。しかるに、エドワード三世は、この理を悟らず、いたく海軍を縮小したので、のちになって臍を噛むの悔いを残した。かつ、カレーの守備に要する入費多く、ために南方を守る上に、少なからず不便を感ずるに至った。

第十六章 了


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