第1巻 第50章
スロイス海戦

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エドワード王はこうしてフランスと戦っているエノーの義理の兄を助けるために船出することにしました。エドワード王は1340年の洗礼者ヨハネの祝日(6月24日)の前日に出航し、スロイスへ直行しました。Sir Hugh Quiriel、Sir Peter Bahucet、Barbenoireは、このころベランケンバーグとスロイスのあいだに150隻以上の大型船(補給船は数えず)にノルマンディー、ジェノヴァ、ピカルディ出身の5000人を乗り込ませて待機させ、イングランド王が戻ってくるのを待ち構え、それを阻止しようと決め込んでいました。

イングランド王は前面にたくさんのマストが並んでいるのをみて、まるで森のように感じました。船長に何であるか尋ねると、あれはフィリップ王がつねに保有している北方艦隊にまちがいなく、あれがサザンプトンに大被害をもたらし、クリストファー号を強奪し、その乗組員を殺したのですと返答されました。エドワード王はフランス北方艦隊と戦うことを望み、そしていまや、神と聖ジョージのおかげでそうすることができるので決心したのでした。なぜならフランスの艦隊はエドワード王に復讐を願わせるような害を為したからです。エドワード王は弓兵を乗せた船の間に武装兵を乗せた船を配置し、被害を受けた船を助けるために弓兵を乗せた別動船を予備船として配置しました。長らく会っていなかった王妃に会おうとヘントに向かう大勢の貴婦人も乗船していました。貴婦人らは自分の名誉にかけて護ろうとする王が提供した300の武装兵と500の弓兵に先導されていました。

エドワード王は艦隊を適当に展開し、船の前面が輝くよう日光を有利に使うため、右舷に風をうけるよう巧みに動かしました。こうした機動作戦を理解できない北方艦隊はイングランド人が戦闘を避けようとしていると考えました。しかし、かれらの目にエドワード王旗がみえると喜びました。なぜならかれらも戦いたがっていたからです。かれらは自分たちの船を配置し、この年のはじめに捕獲したクリストファー号を前面にし、ジェノヴァの弩兵を乗り込ませました。艦隊はトランペットと戦いにふさわしい楽器の音色に乗って進みました。

やがて猛烈な戦闘が開始された。弓兵や弩兵は全力をあげて互いに矢を放った。武装兵たちは白兵戦を演じた。戦いを有利にするために、かれらは大きな爪錨や鎖の先に鉄鉤をとりつけたのを用意していて、船を寄せてつなぎとめるために、それを敵船に投げこんだ。多くの勇敢な行為がみられ、多くのものが捕虜になったり、助けられたりした。大きなクリストファー号がイングランド側に再捕獲され、乗組員は皆殺しにされた。弓兵として乗りこみ戦闘に加わったジェノヴァ人に非難の声があがりました。

このあとも続いた戦闘は残酷で身の毛もよだつようなものだった。海上の戦いは陸上の戦いよりもつねに恐ろしいものなのです。なぜなら退却することも逃げ出すこともできないからです。つらいおわりまで立って戦い、勇気と忍耐を示すしかないのです。Sir Hugh Quirielと仲間たちは豪胆な戦士で、過去にイングランドに大損害を与え、多くのイングランド人を殺害しました。戦闘は朝早くから昼まで続き、そのころイングランド軍は強烈に押されていました。なぜなら敵は4対1と数に勝り、みな歴戦の船乗りだったからです。若い盛りであった王は、その日、勇敢な騎士であることを示した。ダービー、ペンブローク、ヘレフォード、ハンティングドン、ノーサンプトン、グロスターの各伯、またレジナルド・コバーン卿、フェルトン卿、ブラデスタン卿、サー・リチャード・スタフォード、パーシー卿、サー・ウォルター・マンニィ、サー・ヘンリ・ド・フランダース、サー・ジョン・ボーシャン、サー・ジョン・チャンドス、ブラデスタン卿、デラウェア卿、マルトン卿ルーシー、そうして今日リッチモンド伯として知られるロベール・ダルトワ卿なども勇敢に戦いました。この戦いで勇敢にふるまった人々の名前をすべて数えることはできません。しかし、かれらは立派に戦ったのであり、ブリュージュ周辺の人々の助けにより、その日勝利したのでした。敵はみな殺されるか、溺れ死に、逃れたものは一人もいませんでした。知らせはフランドルとエノーじゅうにすぐに広まり、Thun-l'Evequeの前の二つの軍隊にも届いきました。イングランドの同盟者はフランスの弱まったことを喜びました。

聖ヨハネの日の夕方に勝利をおさめた後、王はその夜一晩じゅう、スロイス沖の船上にとどまりました。トランペットその他さまざまな楽器が鳴り響いていました。フランドル人は王の到着を聞くと会いにやってきました。王はブリュージュ住人にジャック・ファン・アルテフェルデの知らせを尋ね、かれがエノー伯を助けに6000以上の軍勢で、ノルマンディー侯に対するために向かったことを聞かされました。翌日、王は上陸し、大勢の騎士を連れてアルデンブルグの聖母巡礼にその足で向かいました。ミサを聞き、夕方までそうして、ヘントで王妃に喜びをもって迎えられました。軍隊と荷物が王のあとから同地に続きました。

エドワード王は、Thun-l'Evequeを攻囲している貴族に言葉を送り、かれらは王の到着と海上での勝利を聞いて、追い払いました。エノー伯も主要な郷紳を除いて軍団を解散し、ヴァランシエンヌにいき、ブラバント侯とジャック・ファン・アルテフェルデをとくにもてなしました。後者は市場で、貴族全員を前に、エドワード王のフランス王位への正当な権利を説明し、フランドル、エノー、ブラバントの同盟が強固であることを説きました。かれの大雄弁は聞いたものすべての賛成を勝ち得ました。かれらはアルテフェルデを知恵と経験に富み、フランドルを統治するのに最適だと言い合いました。そうして、諸卿は8日後にヘントで王に会うことに同意しました。王はかれらを迎え、王妃にするように楽しませました。王妃はちょうどジョンという名の男の子を産みました。ジョンは、のちにランカスター侯ヘンリーのむすめブランシュの権利によってランカスター侯になりました。Vilvoordeで協議の準備がされました。

フィリップ王はスロイス海戦の敗北を聞いて、落胆し、アラスに引き上げ、王がもっとも恐れるエノーやフランドル国境の辺境に防備の軍隊を送りました。



補追
参考文献
履歴


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他を読む


"Froissart's Chronicles"
Edit and Translated by Jhon Jolliffe
HARVILL PRESS, LONDON
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