第4巻 第11章
ウルバヌス6世の死とボニファティウス9世の選出

p331
このころ、教皇ウルバヌスの死がローマでおき、かれを大いに敬愛していたローマ住民は深い悲しみにあった。ウルバヌスは当然の厳粛さのなか、サンピエトロに埋葬された。枢機卿たちは、教皇ウルバヌスの死去の知らせが教皇クレメンスに届くまで、教皇選挙をあきらめた。この知らせは教皇ウルバヌスの死後十日でアヴィニョンに届き、教皇クレメンスと枢機卿たちは長年の問題ことであるシスマがようやく終わると満足した。アヴィニョンの枢機卿たちはローマの枢機卿たちが急いで教皇選挙をせずに、アヴィニョンに申し出てくれることを望んだ。アヴィニョンの枢機卿たちはフランス王に(対立教皇と呼んでいた)教皇ウルバヌスの死を知らせ、教皇クレメンスの支援と、王のいとこのドイツ王、Vertus伯、オーストリア侯(かれらは教皇ウルバヌスを支持していた)に影響を与えるようなものを書いて、教会の平和を回復するよう助けてくれよう頼んだ。

フランス王は、ローマへの遠征開始と不信心者の撲滅に関する説明する役を叔父ブルゴーニュ侯にした。しかし、いまや対立教皇は亡くなり、教皇クレメンスの枢機卿は王の支援を要請した。ブルゴーニュ侯は答えた。

「ウルバヌスが亡くなったことは事実であるが、ローマの枢機卿たちの意見が不明である。かれらは再びローマ住民の指図で教皇を選んでしまうかもしれない、以前にバリ大司教を選んだときのように。したがって、はやまった行動はできない、しばらく様子を見よう。もしかすると、ローマの枢機卿たちは意見をまとめられないかもしれない。そうなるとかわりとして、ローマ住民に隠れて、教皇クレメンスを承認するかもしれない。そうしたら教皇クレメンスはかれらの威信のために望むようにローマに移動すると申し出ればいいのだ。しかし、このようにいかないなら、異なる宗教的意見をもついとこたちに、シスマを終わらせ、統一を回復するために助けてほしいと手紙を書くべきでしょう」

フランス王はこの提言が受け入れられるだろうと考え、即座に行動しないことを決めた。大学の学生たちは枢機卿がいかに振る舞うかの議論に夢中になり、かれらのありきたりの意見は無視された。教皇クレメンスはフランス王、トゥールネー侯、ブルゴーニュ侯、大学に支援を頼むことを書いた。クレメンスを支持するものたち、たとえば、フランス王は他のキリスト教会の指導者であるドイツ・ハンガリー王、オーストリア侯、ミラノ卿ら対立側にいるものたちに、真の教会に戻るよう説得するものを書いた。三日後、王の起居するサンポール館に大学の学生頭があらわれ、シスマを終わらせるための教皇の要求に同意するよう王に懇願した。しかし、それは認められず、なんの答えも無いままで、学生たちは大いに不満だった。

しかし、二三日して、ローマの枢機卿たちがナポリ枢機卿をボニファティウスとして教皇に選出したという知らせが届いた。フランス王と諸侯は大いに悲しみ、ブルゴーニュ侯は、王が書かせた手紙がほとんど受け取られていない状態を指摘した。「手紙はすべて戻ってくることを予言しましょう」とブルゴーニュ侯は言った。王もうなずいた。教皇ベネディクトゥスによる許しが、かれを支持する国々の聖職者に公表され、許しを願いに、ローマに来るときの考えられる危険が知らされた。なぜなら、アンコーナとロマーニャの境界にはサー・ベルナルドン・ド・サルが教皇クレメンスの支援のもと、ローマ住民に戦争を仕掛けていたからだ。サー・ベルナルドン・ド・サルは巡礼者をみると、襲い掛かり、多くのものが殺されたり、行方不明になった。



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"Froissart's Chronicles"
Edit and Translated by Jhon Jolliffe
HARVILL PRESS, LONDON
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