ランカスター家の相続

 ヘンリー3世(1207-1272)===アリエノール(1226?-1291)
 イングランド王(1216)     |  プロヴァンス伯の娘
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エドワード1世(1239-1307)                 エドマンド(1245-1296)
イングランド王(1272)                     ランカスター伯(?)
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エドワード2世(1284-1327)  トマス(?-1322)                  ヘンリー(?-1345)
イングランド王(1307-1327)  ランカスター伯(1296)            ランカスター伯(1326)
   |                                                      |
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エドワード3世(1312-1377)                          ヘンリー(?-1361)
イングランド王(1327)                                        ランカスター伯(1345)
   |                                                    ランカスター侯(1351)
   ├─────────┐                                  |
   │                  |                                  |
エドワード(1330-1376)  ジョン(1340-1399)====1359====ブランシュ(1345-1369)
   |        リッチモンド伯(1342-1372) |
   |        ランカスター伯(1361)    |
   |        ランカスター侯(1362)      |
   |                ┌──────┴──────┐
   |                           |             |
リチャード2世(1367-1400)   フィリッパ(1360-1415)    ヘンリー4世(1367-1413)
イングランド王(1377-1399)    ポルトガル王妃(1387)        ダービー伯(1377-1399)
                                                         ヘレフォード侯(1397-1399)
                                                         イングランド王(1399)
                             ギュイエンヌ侯(1399)
リチャード2世を無血クーデタで廃位したジョン・オブ・ゴーントの息ヘンリーは、自身の王位継承権の正統性を確立するために、ヘンリー3世の子ランカスター伯エドマンドはエドワード1世よりも年長であったと喧伝しました。上の家系図をみればわかりますがうそです。しかし、特に波風立たなかったことを考えると権益を侵さなさい王が就くかぎりは諸侯にとってだれが王であろうが関係ないということなのでしょう。この時期には。

王の不可侵や王権神授説などの発展と照らし合わせるとなにかみえるかもしれません。



参考文献

履歴


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