博多つれづれ

2001/09/02〜2001/10/05まで博多の住人なりました。
せっかくの機会ですから日記のような覚書を書いておきます。

2001/09/02(日)曇→雨

前回、博多に来たのは08/21の台風が奇跡的に博多を避けてくれた日でした。
その時は、史跡を観たり人に会ったりという余裕もなかったのですが、今回は日曜日ということもあり、福岡の歴史家中西殿にお会いしました。
福岡という土地に不案内なこと、戦国知識が乏しいこともあって以前からの疑問を次々ぶつけて次々解決していただいたのでその一部を書いておきます。

まず、黒田長政の居城、福岡城です。
 山川出版の『福岡県の歴史散歩』に福岡城の説明として「場内の櫓の数は大小47に及んだという。しかし、徳川幕府に遠慮してか、外様大名の黒田氏は天守閣を建てなかった。」とあります。
 しかし、これってなんだか変な話しですよね。
 櫓がたっぷりあるけど、天守閣がない。それで本当に幕府への反逆の意思無しなんてことになるんでしょうか。
 こんなことを疑問に思っていたところ、たまたま寄ったキャナルシティの福屋書店で中西殿がおもむろに『福岡県の城』(海鳥社)と『蘇れ!幻の福岡城天守閣』(河出書房新社)を薦めてくださいました。
休みには城めぐりを決めていた私にとって前者はまさに水先案内人。そして後者は第一の疑問に答えてくれそうです。触りを中西殿にうかがうと黒田長政は幕府に反逆の意思がないことを示すために素晴らしい天守閣を造りながら敢えて破壊したというのです。
 なんとも奥ゆかしいエピソードではありませんか。そういう説明なら呑み込めそうでしたので早速二冊とも買いました。  その後、博多駅前のブックオフに寄って『葉隠』の話しをしながら鍋島直茂が長崎代官も兼ねていたことなど、西国大名が朝鮮事情に通じていた話しなどをしておりました。
 ちなみに『葉隠』は中公の日本の名著のがいいそうです。私はニュートンプレスのを読んでいます。しかし上巻を読み終えたので中巻を探さないと。『葉隠』は前半の武士道訓よりも鍋島武士の生き様の方が面白い気がします。いわゆる隆慶一郎の愛した『葉隠』の部分ですか。

博多の駅前には黒田武士の像があり、槍と杯を持っているのを見て母里太兵衛ですか?と中西殿にたずねたところ、いやいや母里太兵衛の像を作ろうとしたらトンでもないことになりますよ。なにしろ身の丈はうんぬんかんぬん、日本一丸の長さはうんぬんかんぬんで巨大になりますからねえという話しで噂以上の巨漢なんだそうです。槍は福岡市美術館で観られるそうですからこれは必見ですね。(注:美術館では観ることはできません。)

 さて、たまたま思い出したのが黒田長政の息子が暗愚で困った家老が一芝居打ってお家を守ったという黒田騒動の栗山大膳のことです。五味康祐の柳生十兵衛が主人公の短編に栗山大膳が上手に隠密十兵衛を捌き、さすがは黒田騒動の栗山大膳という話しがありまして、黒田騒動を知らない私はピンと来なかったので黒田騒動ってなんですかと質問をさせてもらいました。

なんでも黒田の殿様は切れ者すぎて逆にそれが災いして幕府が禁じるより大きい船を作ったりとかく幕府に目を付けられそうな行動をしていたとのこと。このままではいい口実を与えて黒田家はつぶされると感じた栗山大膳は幕府に主君に謀反の疑いありと訴えて殿様を幕府に裁いてもらったんだそうです。

 当然、反逆の意思がありますなんて黒田の殿様が言うわけありませんから、幕府への忠誠を明らかにしました。これにより、不確かなことを言ったとして栗山大膳は東北に流され、一方の黒田の殿様は監督不行き届けということでいったん領地を没収され、翌日与えられるという喧嘩両成敗のようなことになったんだそうです。

 これでようやくわかりました。放っておいたら幕府に難癖を付けられて潰されますが、先制攻撃として殿様自らが被告となり幕府が無罪を認めればこれで危機はなくなり、殿様にもいい薬にもなるわけです。うーむ、壮大な策略。

 ただ『葉隠』の語り部山本常長ならば、そんなしちめんどくさいことをするよりもそういうことをしない殿様に育てるのが家老の仕事だろうと言うんでしょうけどね。

ああ、軽く書くつもりが長くなりました。
まあこんな調子で今度は福岡城のことでも本を読み実際に行って書いてみたいと思います。

2001/09/08(土)晴

 博多に来ているのですから、大河の舞台でも見て来ましょうかという感じで、百道の
中世博多展に行って来ました。まあ大河関係ですからたぶん舞台セットとちょっとした衣装と映像だけだろうと「がっかり」を期待して行ったのですが、もう予想通りの「がっかり」を味わうことができました。

とにかく観るものがない。確かにモンゴル兵の格好をしたお兄ちゃんやきれいな服着たおねーちゃんがいましたが、そこで止まらずに防塁を再現して効果のほどを実証したり、屋外ならではの何かをもうちょい観たかったなあ。目抜き通りは大唐街という中国人商人の居留地を再現しているという建前で宋の開封を再現したんだそうな。うーむ。

 とりあえずチケットをセットで買ったので、中世博多展第二会場と福岡タワー展望台へ。

 第二会場の方は、屋内施設なので展示品がいろいろありました。こちらは博多の歴史を出土品を通して説明してあります。韓国沖で発見された船の中に銅銭が八百万枚あったという話しは面白いですね。なんでも京都の東福寺の貿易船だったそうで元の慶元(寧波)出発して博多に向かう途中で沈没したそうな。

 さて、お次はすぐ近くの福岡市博物館へ。この辺は幕張メッセ並に建物のスケールがでかくてそのわりに閑散としています。

常設展示では私の大好きな声優羽佐間道夫氏が映像資料のナレーションをされており、おもわず片っ端から聞いてしまいました。金印やら黒田長政の肖像やらたくさんの福岡に関する歴史資料が満載でとてもすばらしいところです。しかし映像ばかりに気をとられて重大な失敗にあとで気がつきます。なぜ『福岡県の歴史散歩』には金印や黒田関連のものは美術館にあると書いてあるのにここにあるのか。その謎はまたあとで。

福岡市博物館のあとは一路、福岡城へ。

福岡市内は西鉄バスが縦横に張り巡らされていて便利なのですが、路線図が入り組んでいてわかりづらいことこの上なし。どれに乗ればいいのかわからなくなったのでとりあえず天神に戻って再スタートとします。

 さて、福岡城ですが、ここでの目的は天主台で先日買った『蘇れ!幻の福岡城天守閣』をじっくり読むこと。潮見櫓や母里太兵衛の長屋門をそこそこにずんずん三の丸方面より攻略を開始します。途中、中天主の方に行ってしまって大天主台への道を見失ったりしたのですが、鉄御門より大天主台への階段を発見、七段ほどのぼると埋門があり、そこから鉄の階段で大天主台へと向かいました。

ここからのながめは絶景。東西南北いずれも見渡せます。ここに五重六階、高さ七十五尺(約22.5メートル)の天守閣がさらにあったというのですが、もし再現されたらさぞかし立派だろうなあと物思いにふけっていました。なんでも福岡城には天守閣がないというのが定説になっているそうで、文献史家との建築史家との交流のなさがそんな定説を生んだのだとか。

 その日は城内にある福岡市美術館に行って母里太兵衛の日本一丸やらを見る予定だったのですが時間切れのためあえなく退散。

そのあと、インターネットで母里太兵衛のこととか調べていてなぜ金印が美術館ではなく、博物館にあったのかがわかりました。どうやら福岡市博物館に黒田記念室は移っていたのです。うーむ、博物館にまた行かないと。

 追記
 丁度、9月9日(日)に放送された大河ドラマ北条時宗が元寇襲来を描いた回でした。中世博多展は大河ドラマと連動しているから防塁が出てこないと会場にも防塁は出てこないんでしょうね。ドラマを観ている人なら衣装もありますからこの舞台を使っていたなあと色々思えるかもしれません。

2001/09/09(日)晴

 本日は昨日のリベンジとばかりに中西殿と福岡市博物館方面へ再度出撃。

その前に元寇の防塁を観ておきましょうというわけで、バスを防塁前で降りて西南大学体育館横の芝生の中へ。この松林と芝生の中には何もないなあと思うと地中に石垣が。なるほど発掘したものですから見えるようにするには、この防塁を移築して持ち上げるか、周りを削って掘り下げるかのどちらかです。それらは大変な工事費がかかるでしょうから、こうした保存がされているようです。

さて、福岡市博物館ですが、本日は中西殿の解説付きで見学です。

近世に博多や長崎で使われた商船は相当の速さで進むことができると文献上は書いてあったのですが、帆船研究家などにはとんと相手にされなかったそうです。しかし大阪のある博物館が復元して進水式を行ったところ、12ノットのスピードを出したそうな。文献を素直な気持ちで読まないとしっぺ返しを食う例ですね。

また、秀吉の朝鮮出兵に反対派の島井宗室と推進派の神谷宗湛の話しを聞き、朝鮮との貿易による長い目での利益を考えた宗室と短期に儲かる軍需景気を期待した宗湛の比較なんてのもありました。

さて、常設展示はそこそこに黒田記念室へ。越中式の簡素な鎧を期待して行ったのですが、残念ながらどこかに行ってるらしく、長政の兜を後世の藩主が再度造らせたものがちょっとあるだけでした。まあ、日本一丸が見れたのでよしとしましょう。全体で3メートル強はあるというもので、刀傷があることから実際に使われたのではという話しでした。

ここから趣味の世界、古本の世界へ。

今回は
雄明堂葦書房へ。今回、日本の名著の『葉隠』を探していたのですが葦書房でゲット。雄明堂では、『博多歴史散歩』(創元社)、『葉隠〜鍋島武士の人間模様〜』(創元社)、『専制君主と啓蒙思想家』(教育社)、『フランス食卓史』(人文書院)なんてのをゲット。どちらもすっきりと区分けされていてとても使いやすそうな本屋でした。ただライバルが多そうでよさげなものはすでに買われた気配がひしひしと感じられます。

さて飯も食わずに、今度は東へ。巨大日蓮像と亀山上皇の待つ県庁舎周辺に向かいます。こちらはまあ日露戦争の遺跡と言った方が正しいかもしれません。国力差のある相手と戦う時に何にすがるかという感じでしょうか。元寇史料館(史料というわりには再現図多し)をささっと見て、黒田の菩提寺、崇福寺へ。こちらの山門は福岡城本丸の表門を移築したもので、ひさしが前に出張っていて石を落とせるようになっているのだとか。また名島城の遺構という唐門などもありました。

そうこうする内にいい時間となり、福岡が本店というロイヤルホストで軽く食事。そして解散と相成りました。

2001/09/15(土)晴

 画像満載なので
こちらで。

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