墓をみる

西洋中世史の大家に堀米庸三先生という方がいらっしゃいます。

 有名な著書は、中公新書の最高傑作と名高い『正統と異端』で、体制であるカトリックが自己矛盾を解決するために、どのようにアウトサイダーを取り込んでいったかを探るものです。

 その視点は、ヨーロッパ全体に向けられていて、発言も広範に及び、その成果が『西洋中世世界の崩壊』(岩波全書)に結実されています。また、歴史研究だけでなく、旅行記や随想など幅広い手稿を書かれましたので、古本屋でいろいろ手に入るかもしれません。

 さて、堀米先生は1975年に亡くなられたのですが、それに先立つ1962年に奥さんを亡くされました。そのとき、鎌倉の覚園寺の谷戸にお墓を作られたのです。

 それは、自分らしさを表すためにデザインされたもので、大谷石で土台をつくり、その上に一文字「寂」と書かれた石を置いたもので、いわくエジプト風のお墓でした。そして銅版の墓碑銘にはラテン語で文が書かれました。

 まあ、このことを蒲田の古本屋で買った『歴史家のひとり旅』(新潮社)という本で知ったのですが、まさかそのお墓を自分の目で確認することができるとはおもってもいませんでした。

 しかし、こういうことは突然やってくるものなのです。

 覚園寺のお坊さんによる庭園の説明が一通り済んだところで、お墓をみせてほしいと頼むと、もっと若いお坊さんが出てこられて、庭園の奥へと案内してくれました。そこは鳥と風しか聞こえてこない場所で、鎌倉武士のお墓が斜面沿いにある理由はこの静けさなのかと錯覚する思いでした。

 まだ咲かぬあじさいを抜けると芝生の向こうにお墓が20基ほど並んでいて、市営霊園とはまったく違う雰囲気がそこにありました。その前から二列目の左はじに茶色のかかった、他の某家代々とはまったく違う「寂」の一文字が。ああ、これなのか。これが30年前につくられたものなのか。沢庵和尚はたくわん石を墓にしたけど、西洋史家は「寂」にすべてを託したのか。

 残念ながら、雑草が生い茂っていたので、本格的に草むしりをしたかったのですがそれはそれ。すべては一点につながり、また放射するのです。一冊の宇宙。



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