百年戦争における休戦状態

幕末以降の日本とアメリカの軍事・経済関係を日米百年戦争と呼んだり、一向一揆の動きを本願寺百年戦争と呼んだり、井上ひさしも作品に百年戦争と題名を付けたりと、『百年戦争』ということばの響きは日本人の耳に心地いいらしい。

が、こと西洋史において百年戦争というならば、十四、十五世紀の西欧を真っ二つにしたイングランドとフランスの関係史を表す時代概念を意味し、その起源はほとんど同時代までさかのぼります。しかしこの語自体およびその指す時期を一三三七年から一四五三年までとする年代区分は十八世紀後半以降のもので、この語自体の使用はフランスで一八六一年に始まり、イギリスの歴史家が意識的にこれをもちいたのは一八七〇年前後以降とされています。

この百年戦争時代を説明するとき、戦争の状態は半分以下だったと、五十年戦争と呼ぶのが正しいというような論調がありますが、その視点は合戦だけが戦争のすべてだという立場を表しています。

では、実際に戦いの長さを調べてみますと、一三六〇年から一三六七年の不完全ながらも講和が結ばれていたのを除けば、戦争と休戦が交互にありました。そして、一三三七年から一四五三年までの百十六年間の半分以上が英仏の全土で戦いを禁じる全国的休戦期間でした。一四二〇年のトロワの和約までの八十三年間のうちでは五十五年間が全国的休戦期間であり、主要な作戦行動は二十五年間か二十八年間程度であり、戦闘には中断がつきものでした。

さらに細かく一三三七年から一四〇〇年までの六十三年間をみると、作戦行動は十八年間にも達せず、しかも九年間の批准された講和期間があり、二十九回の全国的休戦と七回の利害の一致した領主同士で結ばれることの多い地域的休戦がありました。

逆にここでこれだけの休戦がありながらなぜ完全講和に至らなかったのかという疑問がわきます。そもそも百年戦争は一三二八年五月にカペー家からフランス王冠を受け継いだヴァロワ家のフィリップ六世が一三三七年五月二十七日にアキテーヌ公でもあるイングランド王エドワード三世からアキテーヌ公領を没収したことに対して、同年十一月一日にエドワード三世が宣戦布告したことを始めとし、一三四〇年一月にフランドルのガンでエドワード三世がフィリップ六世を否認して自らのフランス王位の正統性を主張したことが発端となっています。

ここでエドワード三世のフランス王位請求権の根拠を探ると一二五九年のパリ条約にさかのぼります。この条約には両国にとって三つの重大な欠陥をはらんでいました。第一にイングランド・アンジュー王家の大陸領土の範囲が明確でなく、第二に、アンジュー王家はその在仏所領に関するかぎりカペー家の封建的上訴管轄権におかれることとなり、第三に双方の代替りのたびにアンジュー家の当主はカペー家の当主に臣従礼をおこなわればならなかったということでした。フランス王家はアキテーヌの領主に働きかけて、パリへ上訴を頻繁におこなわせることでアンジュー家の大陸領地に介入したため、アキテーヌ領を介在した英仏の緊張は一二九四年から一二九七年のギュイエンヌ戦争や一三二三年から一三二四年のサンサルド戦争を引き起こしました。一三二七年に即位したエドワード三世はすでに交代していたカペー家のフィリップ六世に臣従礼をとりましたが、この時期のエドワード三世は母イザベルの傀儡であり、フランス王との争いを望まないイザベルの意向が強かったと思われます。そのため母を王政から追放して実権を握ったエドワード三世は、アキテーヌ公領へのフィリップ六世の介入や紛争中であるスコットランドへの公式支援など様々な要素が加わって、一三三七年に臣従令を取り消し、カペー家のフィリップ四世のむすめイザベルの息子であるという血統の強さにより一三四〇年にフランドル伯領ガンにおいてヴァロワ家のフィリップの王位を否認して、自らフランス王となることを宣言したのです。

しかし、フランスだけでなくイングランドにおいても女系からの王位継承は例がなく、エドワード三世は実力で正統性を勝ち取らなくてはいけませんでした。そして次第に王の周辺に浸透していくことは王の争いは中途半端では終わらないということでした。このことは、一三六〇年のブレティニ和議からアラス和議にいたるすべての和議、和約の試みが永続性を欠くか不成立に終わった原因が、イングランド側が十二世紀後半アンジュー家が支配した全領域をイングランド王の主権下におくこと以下の条件では和議をうけいれず、フランス側は領域的にゆずれる範囲は西南部のみとし、しかもこれをフランス王の封建的宗主権のもとでしか認めようとしなかったことからも明らかです。

このようにエドワード三世の治世においてフランスとの完全講和とはランスでフランス王冠を被ることを意味したのです。そのため講和は不完全に終わり、代わりに休戦がしょっちゅう結ばれることになったのです。逆に大規模な作戦行動を支える財政基盤はイングランド側になく、大敗を二度くりかえしたフランス側にも対抗する力がなく、長期の休戦は不可欠だったのです。そうした点を踏まえた上で、この論考では、百年戦争時代の休戦がいかなるものであるかを追及し、特にイングランド王リチャードニ世治世下の休戦に着目したいとおもいます。



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