百年戦争の休戦交渉

 百年戦争は百年続いた戦争ではなく、短期の決戦と長期の休戦によりだらだら続いた戦争だったとわたしは書きますが、ではどうやって休戦を結ぶのか。それについて。

まず、休戦がなにを意味するのかですが、これは3つのものの安全を保障するということがあげられます。それは、「人」「もの」「平和の望み」の3つでした。これは言葉通りにとっていいとおもいます。また休戦が結ばれる場合、全土にわたって施行されるものと、地域限定のものがあります。たいてい、地域限定の休戦協定を積み重ねて、総合休戦協約に発展します。

1339年にエドワード3世がフランス王を否認して宣戦布告をして以降、大きな戦いでフランスとイングランドの決着がついたところで、教皇使節が介入することで休戦の話し合いがはじまることが多かったのですが、1378年に教皇ウルバヌス6世と枢機卿の対立によって教会大分裂が引き起こされて、教皇並立状態になってからは、ルーアン大司教、神聖ローマ帝国皇帝ヴェンツェル、バイエルン侯夫妻、アルメニア王と調停者が移りました。

1377年にイングランド王エドワード3世が亡くなり、1380年にフランス王シャルル5世が亡くなると、両国には幼年王が即位したため、しだいに休戦ムードが生まれ、上記の調停者の取り持ちとともにカレーとブーローニュの中間に位置する寒村ロリンゲンで代表者による話し合いがされました。

イングランド側は、ランカスター侯とグロスタ侯とノーウィッチ司教、フランス側はブルゴーニュ侯とベリー侯とラン司教によって話し合われました。こうした会議では、貴族が決定権を握っているのですが、話し合いは聖職者によって進められ、フランス側はやがてラン司教が主導するようになります。

そして、いったん結ばれた休戦協定は、王と顧問会議に送られ、イングランドでは全土のシャリフに、フランスではバイユとセネシャルに伝えられました。

次回は、個別の協定について。



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