幽王

毎度ばかばかしい小話をひとつ。

ある村に、そりゃもうチェスの好きな坊さんがおりました。
この坊さん、暇があれば近くの領主の若旦那を教会に呼んで日がな一日チェスをさしていたのでございます。腕前の程は五分と五分といったところでしょうか。

そんなある日のことでございます。天気がいいのが幸いしたのか星のめぐり合わせがよかったのか、この坊さん朝から若旦那に三度勝ち続けたのでございます。調子に乗った坊さんは若旦那をからかい、若旦那の方も血の気がかっかかっかと頭に上ったので、一触即発の事態になったのでございます。

こんなときは頭を冷やすことが一番の薬なのでございますが、焦る若旦那はすぐさま四度目の勝負を挑んだのでございます。応えて、坊さんも今度はど真中でチェックメイトしてみせましょうなどといよいよ油を注ぐ言葉をのたまったのでございます。やはりと申しましょうか、盤上は苦しみの坩堝と化したのでございますね。すわ、チェックメイト。坊さんは勝ち誇っておちょくります。みよ、わしは見事真中で詰めてやったぞと。ところが、ここで若旦那、窮余の策に出ます。なんと、このチェックメイトをいっかな認めようとしないのでございます。どんなに坊さんが盤と駒の上で手を振り、頭を振っても若旦那はがんとして譲らないのでございます。

さてさて、困った坊さん。こちらもあっと驚く行動に出ます。なんと鐘楼に走っていったかとおもうと、早打ちで村中に鐘の音を響き渡らせたのでございます。朝から畑仕事をしていた善男善女はこれは一大事と鍬を捨て鋤を捨て、教会へと急いだのございます。すると教会はいつも通り、中庭にチェス盤をさす坊さんと若旦那という状態。いったいなにがあったんですかいと男が尋ねるとこの坊さん

「皆の衆、よく来てくれた。ぜひ皆にわしがこの旦那をど真ん中でチェックメイトしたことの証人になってもらいたいのじゃ」
「まさか、それだけですかい?いやはやはた困った御仁だ」

善男善女は大いに笑って、仕事に戻っていったのでございます。

それから一月、ほどたってまた同じようなことが起こりました。坊さんは懲りずに鐘を早打ちしました。今度はそれほど集まらず、坊さんにチェス盤を見せられるとあきらめ顔で

「どうぞ呼びたいときには好きなだけ打ってくださいよ」

と、もう二度と来ませんよと気持ちを込めて言ったのでございます。これをみて坊さんは、おまえさんたちは我慢するのじゃ、この男をあやまちから救ったという手柄を立てたのだからといいました。憤懣やるかたない男は

「だれのあやまちだか知りはしりませんが、前と今度で作業が遅れたのは確かですぜ」
対して坊さん
「おまえたちはキリスト様のご臨終の際に、カイファスが何といったか承知しとるだろう。なべて群衆の死滅せんよりは、むしろ民のために一人しなんにはしかじ、とな。でわしも皆の衆に教えよう、この旦那があやまちからのがれるためには、みんなが少しずつ骨を折るのは仕方のないことじゃと。さあ、もういうことはない。きたけりゃおいで、きたくなければ向こうにいるがええ」

さてさて、それから二月たったころでございます。このころにはよくあったことでございますが、坊さんのお手伝いさんが洗濯をしている最中に、館の台所で火事がおこったのです。夕日が沈むころでしたので、急いで坊さんは鐘を鳴らしました。ですが、仕事を終えて、鍬や鋤を肩にかついで家路につこうとしていた善男善女たちは

「ほんに、チェスをさしたきゃさしなされ、鐘を鳴らしたきゃならすがええ、もっとほかにやることがあるだろうに」

と、いってさっさと家にひきこもってしまいましたから教会も館もすべて焼け落ちてしまったのでございます。翌朝、村の教会が全焼したという噂がひろまると哀悼の意を示すものもあれば、自業自得というものもありました。そうして野次馬連中が教会のあった場所に押し寄せますと、苦渋に満ちた顔で坊さんは

「わしは鐘がひきちぎるまで鳴らすことができたわい。おまえたちも神に救われたいときがあれば好きなだけならすがええ。おまえたちが助けてくれなかったおかげでひどいめにあったて」
「わしらはてっきりチェスをされているのかとおもいましたので」
「ああ、確かに火事を相手にさしていたさ。そしたら見事やつはわしをチェックメイトして無一文にしてくれたのさ」

すると何人かがいったのです。

「それであんたは先日、全人類の死なんよりは民のために一人が死なんにはしかじと、カイファスをおひきになった。わしらがこの予言通りにしたことをあんたも悟ってくだされ。あんたは民にかわってしなれこそなさらなかったが、あんたの檀家が死ぬかわりに一つの厄払いや懲罰をおうけになられたのだ。というのもあんたがわしらを馬みたいに毎日走らせたからだ」

「いやはや、おまえたちのいうことはもっともだわい。実に立派な例をひくとわしも感心するよ。チェスの笑いはいま涙になったのじゃ。いま、はっきりわかったよ、牡牛が盗まれたあとで、厩の錠をおろすわけにはいかんのじゃな」

おそまつさまでした。



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