ジャン・フロワサールの年代記



処刑60k オリヴィエ・ド・クリソンの処刑

1343年、反逆罪で告発されたオリヴィエ・ド・クリソンは処刑されました。

ブルターニュ継承戦争は、1342年、ジャン・ド・モンフォールのバンヌ占領で幕を閉じましたが、その後には事件が起きました。

敗北側のシャルル・ド・ブロアに味方した領主にアンヌボンのオリヴィエ・ド・クリソンがいました。彼はバンヌの戦いで捕虜になりましたが、交換されて家族のいるアンヌボンに帰りました。しかし、1343年の夏、武術大会でパリに赴いたところをフランス王フィリップ6世の命令で捕縛され、十分な裁判もないままイングランド側のスパイとして処刑されました。フィリップ6世のブルターニュ領主への不信は強く、この年11月にはさらに十人が処刑されました。

さてここで登場するのが、オリヴェエの妻ジャンヌ。彼女は、夫の生首を見るとフランス王への復讐を決意し、アンヌボン周辺の傭兵を組織して、王家側の都市や城塞を攻略していました。

地上での復讐では足りずとさらに海賊への道をジャンヌは選びます。単身イングランド王エドワード3世に拝謁して助力を懇願し、見事三隻の軍船を手に入れます。こうして、復讐の女神を先頭に次々とフランス側の船を拿捕していったのでした。さすがのフィリップ6世も苛烈な攻撃にまいって、アヴィニョン教皇クレメンス6世経由でイングランド王にジャンヌを海から降ろすよう頼みますが、当然無視されたのでした。

海賊ジャンヌの終わりは突然やってきました。フランス側の包囲網によって、命からがら脱出したジャンヌは漂流中に息子を失い、そのショックで戦いからすっぱりと足を洗ったのでした。その後はベントリー伯と結婚し、静かに暮らしたそうな。生き残ったもう一人の息子オリヴィエはフランスに戻って、シャルル6世のもとで王軍長にまで昇進しました。

この話しは『ジャンヌ・ダルク』(竹下節子著 講談社新書1337 p135-141)を参考にしています。



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『年代記』はフランス国立図書館より転載しています。