アルブレヒト・デューラー(1471-1528)



自画像142k 22歳の自画像
1493。デューラー(1471-1528)画。ルーブル美術館所蔵

金細工師の子としてニュルンベルクに生まれたデューラーは、父にその才能を見出され、画家として1490-94まで修行の旅に出ていました。その最中の絵です。

頭の上に書かれた文は、「わがことは上にて定められたるがごとくなれかし」つまり自分の才能は神のものだということです。手に持っているのはエリンギウム草でキリスト受難を表しています。このころから自画像にキリスト像を合わせる意図が見られます。

自画像144k 26歳の自画像
1498。デューラー(1471-1528)画。プラド美術館所蔵

前年、木版画「ヨハネ黙視録」で大ヒットし、財産を築いたデューラーは画家の地位向上を意識してこの自画像を描きました。つまり「自由にして教養のある人間」として世の人に認めるよう挑戦状を掲げたのです。

ここにはキリスト像とのかなり深い交わりがみえ、これはただ自己を神であると思っている傲慢ばかりがそうさせたのではなく、神が我に傑作を描かせるのだという謙虚さがあることを見逃してはなりません。

中世の貴族、知識人には、傲慢と謙虚が入り交じっているのです。

自画像126k 28歳の自画像
1500。デューラー(1471-1528)画。アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン)蔵

ここにおいて、デューラーは神になりました。神の意志と人間の意志の合一こそが芸術であるという認識に達したのです。

しかし、これを境にデューラーは自画像を描きません。それは、彼の敬虔な信仰心とともに存在する合理的原理の追求がそうさせたのです。ドラクロワはデューラーの植物や動物に対する筆致が人間のそれと変わらないことを指摘し、彼の観察眼が並々ならぬものであることを表明していますが、それは同時に、神の一つの法則ではない、自然の複雑な法則への入り口だったのです。中世の無知はこうして解き放たれていくのでした。

と、書きましたが、少し変更します。

デューラーが自画像をキリストに似せて描かなくなったのは、キリストの死んだ32歳という年齢を超えたからと考えることはできないでしょうか。1503年、デューラーはその年齢を迎えたとともに父を赤痢で失いました。彼もその時期、同じように罹り、吐瀉と下痢に苦しむ姿を鏡で見ながら『苦悩のキリスト』を描きました。

もう一つ。デューラーに対するレオナルド・ダ・ヴィンチの影響もあるでしょう。レオナルドの標榜する「絵画学」で幾何学知識の必要性を訴えたことは、当時絵画について多く著述していたデューラーを大いに鼓舞したようで、馬を描くのに、計測し美しい比率を求めたレオナルドの知識はそのままデューラーに引き継がれました。

また、デューラーはレオナルドだけでなく、ラファエロなどと文通を行ったり、ヴェネツィアに旅行するなど、旺盛にイタリアを吸い込んだのです。

それと同時にフィレンツェで始まった「新プラトン主義」といった考え方も導入したようで、この「精密な観察」と「机上の空論」の相重なる部分がルネサンスの重要な部分なのでしょう。

ただし、「四性論」などを土台にした「新プラトン主義」の考え方は、いまの我々は、ここ二百年の身体に対する知識で「机上の空論」と片づけることができますが、ルネサンス期では、これを信用に足る知識として足固めする様々な知識があったわけです。それが「錬金術」「占星術」などで、現在読んでいる「科学史の逆遠近法」(村上陽一郎著 講談社学術文庫)で手がかりが解ればいいなと思っています。

96/04/29 カノッサ



まだまだみるぞ


この文章は『デューラー』(前川誠郎著 講談社)、『デューラーとその時代』(宮田嘉久著 隆文館)、『自画像は語る』(栗津則雄著 新潮社)を参考にしました。

『自画像』はWeb Museumより転載しています。
Web Museum : (c)Nicolas Pioch,1994,1995