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と、書きましたが、少し変更します。
デューラーが自画像をキリストに似せて描かなくなったのは、キリストの死んだ32歳という年齢を超えたからと考えることはできないでしょうか。1503年、デューラーはその年齢を迎えたとともに父を赤痢で失いました。彼もその時期、同じように罹り、吐瀉と下痢に苦しむ姿を鏡で見ながら『苦悩のキリスト』を描きました。
もう一つ。デューラーに対するレオナルド・ダ・ヴィンチの影響もあるでしょう。レオナルドの標榜する「絵画学」で幾何学知識の必要性を訴えたことは、当時絵画について多く著述していたデューラーを大いに鼓舞したようで、馬を描くのに、計測し美しい比率を求めたレオナルドの知識はそのままデューラーに引き継がれました。
また、デューラーはレオナルドだけでなく、ラファエロなどと文通を行ったり、ヴェネツィアに旅行するなど、旺盛にイタリアを吸い込んだのです。
それと同時にフィレンツェで始まった「新プラトン主義」といった考え方も導入したようで、この「精密な観察」と「机上の空論」の相重なる部分がルネサンスの重要な部分なのでしょう。
ただし、「四性論」などを土台にした「新プラトン主義」の考え方は、いまの我々は、ここ二百年の身体に対する知識で「机上の空論」と片づけることができますが、ルネサンス期では、これを信用に足る知識として足固めする様々な知識があったわけです。それが「錬金術」「占星術」などで、現在読んでいる「科学史の逆遠近法」(村上陽一郎著 講談社学術文庫)で手がかりが解ればいいなと思っています。
96/04/29 カノッサ
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