ナポレオン・ボナパルト(1769-1821)



アルコル橋 アルコレ橋のナポレオン・ボナパルト
1797。グロ(1771-1835)画


1796年11月16日のアルコレの戦いの際に軍旗を持って戦陣を切り開こうとした図。切手もある。
未完成 未完成のボナパルト
1798。ジャック・ルイ・ダヴィッド(1748-1825)画。ルーブル美術館蔵


イタリアから凱旋将軍としてパリに戻ったナポレオンは、オーストリアを屈服させた証であるカンポ・フォルミオ条約文を握って戦場を見渡すという絵をダヴィッドに描いてもらうべく、アトリエに乗り込みました。が、数時間のデッサンしかすまないうちに、ナポレオンはエジプトへと去っていきました。ゆえに未完。ほんとうは腰くらいまでのデッサンがあります。
野戦病院127k ヤッファのペスト病院
1804。グロ(1771-1835)画。ルーブル美術館蔵


1799年エジプトのフランス軍内でペストが流行。
ベルナール峠 ベルナール峠のナポレオン
。1800。ジャック・ルイ・ダヴィッド(1748-1825)画

執政第一執政のナポレオン
1804。アングル(1780-1867)画

戴冠 皇帝ナポレオンと皇后ジョゼフィーヌの戴冠
1806-07。ジャック・ルイ・ダヴィッド(1748-1825)画

何故、ナポレオンは、教皇からではなく、自分で戴冠をしたのか?
それは、教皇を主任司祭、つまり自分の配下にすることが目的だったのだ。その証拠に教皇領は併合されている。
ナポレオンの言葉に「キリスト教はそれを利用するすべを知っている国家にとっては、いかなる政府にとってももっとも確実な支えになるであろう」がある。これこそ、彼が西洋初の無神論者たる所以なのである。

玉座玉座のナポレオン
1806。アングル(1780-1867)画
アイラウ会戦 アイラウ会戦のナポレオン
1808。グロ(1771-1835)画


書斎書斎のナポレオン
1812。ジャック・ルイ・ダヴィッド(1748-1825)画


参考文献

1997/03/17? 作成
1997/10/27 野戦病院追加

ナポレオンについて詳しく知りたい方は
NAPOLEON
で心行くまでどうぞ

まだまだみるぞ




『アルコレ橋』『ベルナール峠』『玉座』『アイラウ会戦』『書斎』はWeb Museumより転載しています。
Web Museum : (c)Nicolas Pioch,1994,1995

『未完成』『野戦病院』『第一執政』はFine Artより転載しています。
Fine Art : (c)Carol Gerten-Jackson,1995

『戴冠』はParis Pagesより転載しています。
Copyright (c) 1994 / 1995 / 1996 Norman Barth (nbarth@paris.org).