柳生年表

西暦元号月日出来事
1529享禄2年 宗厳、誕生
1563永年6年 宗厳(35)、上泉信綱に兵法を学ぶ
1565永年8年4宗厳(37)、印可を得
1566永年9年5宗厳(38)、奥義の伝書を受ける
1571元亀2年 宗厳(43)の五男宗矩、誕生
1573天正1年 上泉信綱死去 宗厳(45)、新影流を新陰流とする
1579天正7年 宗厳(51)、三好左衛門に兵法を伝授
1585天正13年 宗厳(57)、羽柴秀次から知行百石を与えられる
1593文禄2年 宗厳(65)、入道し石舟斎と号す
1594文禄3年5/3宗厳(66)、徳川家康(53)に兵法の秘術を呈し伝授の起請文を得、俸禄二百石を受ける
   宗厳、五男宗矩(24)を家康の側近として出仕させる
1600慶長5年 宗矩(30)、家康(59)の上杉攻めに従軍、下野国小山に着する
  7/29宗矩、家康の命で、父宗厳への使者として柳生に帰国、父子で国人を招集、戦いに備える
  9/15宗矩、関ヶ原の戦いに従軍
  11宗矩、豊臣秀長に没収された旧領2000石を与えられる
1601慶長6年 宗矩(31)、秀忠に新陰流兵法を教え千石加増される
1606慶長11年4/19宗厳(78)、没
1607慶長12年 宗矩(37)の長子光巌、誕生
1612慶長17年 宗矩(42)の次男友矩、誕生
1613慶長18年 宗矩(43)の三男宗冬、誕生
1614慶長19年 宗矩(44)、大坂冬の陣で徳川軍の先導となる
1615元和1年 宗矩(45)、大坂夏の陣で活躍する
1616元和2年9/19宗矩(46)、坂崎出羽守の切腹のことで使命をつくす
   宗矩、出羽守の津和野城引取りの上使となる。のち、伏見の邸宅、家紋二蓋笠を賜わる
1619元和5年 光巌(13)、家光の小姓となりのち新陰流の相手となる
1621元和7年 宗矩(51)、家光の兵法師範を命ぜられる
1623元和9年 秀忠、将軍職を家光に譲り大御所となる
1626寛永3年 光巌(20)、家光の勘気に触れ致仕し、諸国巡遊する
1629寛永6年 宗矩(59)、従五位下但馬守に叙任される
1632寛永9年 宗矩(62)、三千石を加増され総目付となる
   秀忠、没
  9宗矩、新陰流の基本である『兵法家伝書』を作る
1633寛永10年 宗冬(21)、家光に初謁し書院番となる
1636寛永13年 宗矩(66)、四千石加増されて一万石を領し大名となる
1637寛永14年 光巌(31)、江戸で父宗矩(67)の直伝を受け兵法論一巻をまとめて呈出し印可を受ける
  11/10宗矩、島原の乱で板倉重昌が総追捕使に指名されたことを止めるよう、家光に諫言したが、果たせず
1638寛永15年 光巌(32)、赦免され書院番に列される
   宗矩、父家厳菩提のために、柳生下村に僧沢庵開基の芳徳寺を建立する
1639寛永16年 宗矩(69)、家光に新陰流兵法印可の書を呈す
   友矩(38)、柳生にて病没
1640寛永17年 宗矩(70)、五百石加増、さらに二千石を加え一万二千五百石を領す
1646正保3年 宗矩(76)、没
   光巌(40)、遺領のうち八千三百石を継ぐ
   宗冬(34)、分地四千石を受ける
1650慶安3年 光巌(44)、柳生にて鷹狩り中に没
   宗冬(38)、四千石を上地し兄光巌分を相続
1656明暦2年 宗冬(44)、家綱の剣術師範となる
1657明暦3年 宗冬(45)、従五位下飛騨守に叙任される
1661寛文1年 宗冬(49)、館林綱吉(のちの五代将軍)の剣術師範として誓紙を受ける
1668寛文8年 宗冬(56)、旧宗冬領の加増により一万石となり大名に復帰
1675延宝3年 宗冬(63)、没

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