アンドレイ・ボゴリュプスキ−(Andrei Yurevich Bogolyubskii。アンドレイ・ユーリエヴィチ)

1111年頃〜1174年6月28日(土曜日の夜)生没。ウラジーミル・スーズダリ公。位1157〜1174年。父はユーリー・ドルゴルーキー、母はポロヴェツ族の公の娘。ロストフ市を中心としたロストフ・スーズダリ公国の公だった父のあとを継いで公となりましたが、ロストフは古くからいた貴族たちの勢力が強かったので、祖父ウラジーミル・モノマフの時代に建設されたウラジーミル市に1157年に首都を移転しました。この国は今後ウラジーミル・スーズダリ公国と呼ばれます。アンドレイがボゴリュプスキーと呼ばれるのはウラジーミル市の近郊にあったボゴリューボヴォ(ボゴリュボボ)村に居住して、政務を取ったからです。アンドレイはウラジーミル市にウスペンスキー聖堂を作るなどして首都を充実させ、1169年(創世暦では6677年にあたるはずですが、『キエフ年代記』では6679年の項に書いてあります)には息子ムスチスラフにキエフ市を占領させキエフ公国の勢力を完全に削ぐことになります。
「神はアンドレイの子ムスチスラフと兄弟達に助力し、彼等はキエフを取った」(『キエフ年代記』6679年の項)
彼は占領したキエフ市には居住しないで、弟グレープを代官としました。ウラジーミル・スーズダリ公国を含むルーシの諸侯は、キエフ大公からの独立傾向が強く、特にアンドレイはそれを強力に推し進めた結果、ウラジーミル・スーズダリ公国は諸公国の中でも最大のものとなっていきます。しかし、他の諸侯や貴族たちからは嫌われ、「専制者」と呼ばれることになります。1174年に貴族によって殺害されました。

(参考文献・『ロシヤ年代記』P439、)
(03/11/03作成、)