| ウラジーミル市(ウラジーミル・ザレスキー。森の彼方のウラジーミル。Vladimir)
ロシア共和国の西部にあるウラジーミル州の州都。モスクワの東北東177キロメートル(190キロメートル?)に位置。人口31万6300人(2002年)。1983年の時に人口32万だったので、規模はあまり変わっていないようです。モスクワとニジニ・ノヴゴロドとを結ぶ鉄道の中間点。ロシア史において重要な役割を演じた歴史ある街です。ロシアにはヴォルィニのウラジーミルなど、他にもウラジーミルという名前の街があるため、区別するために「ウラジーミル・ザレスキー(森の彼方のウラジーミル)」とも呼ばれます。その名の通り、この地方はとても深い森に覆われています。
1108年、ウラジーミル・モノマフによって、クリャジマ川右岸の丘の上に要塞が建設されたのが街のはじまりとされ、中世を通してこの地方の中心的都市として繁栄しました。1157年、ロストフ・スーズダリ公国の公アンドレイ・ボゴリュプスキーがこの街を首都とすると、それ以後この公国はウラジーミル・スーズダリ公国となり、ロストフやスーズダリとの主導権争いはあったものの首都であるウラジーミル市もさらに発展を見せるようになります。アンドレイ・ボゴリュプスキー公の異母弟フセヴォロド大巣公は、のちに公式にはじめてウラジーミル大公を名乗ることになります。1299年にはロシアにおけるキリスト教の責任者であるキエフ府主教も、そのキエフ市を去り、このウラジーミル市へと移ることになりました。
こうした繁栄は、この地方が他のルーシ諸国と比べ、比較的に外敵に悩まされることが少なく、また肥沃であったことが大きな要因として考えられます。12世紀にはノヴゴロド方面からの移住者や、戦乱によって荒廃する南西ルーシから逃れてきた人々が、多く流入したといいます。
この街は、三方を川に囲まれたこの地域一帯の中で最も高い丘の上にあり、見渡す限りの場所にはほとんど目立った起伏はありません。丘自体も川側はたいへん急な傾斜になっていて、ここがとても堅牢な要塞都市であったことがわかります。街自体も三重の市城壁によって堅く守られていました。また、オカ川の支流であるクリャジマ川の河畔にあるため、ヴォルガ水系の水運を利用した交易も盛んで、北東ルーシの中心的な街へ成長するとともに、府主教座の移動にともない宗教的にも発展します。街にはロシア建築の名作、ウスペンスキー大聖堂やドミトリーエフスキー聖堂が建設され、他にも多くの教会や修道院が造られました。街のシンボル的存在であった市城門である「黄金の門」は、キエフ市の黄金の門を模倣して造られたものであり、ウスペンスキー聖堂はキエフ市のソフィア聖堂よりも高い建造物でした。このことからも、ウラジーミル市がキエフ市に代わる、新しいルーシの中心都市であると意識していたようでした。
しかし、1238年、この街はモンゴル軍によって攻められ、2月の3日から8日にかけて行われた戦いによって陥落し、街は炎上しました。当時のウラジーミル大公ユーリーは、ちょうど軍勢を整えるために北方に出ていたため、その息子などの家族が皆殺しに合いました。彼らは最後にウスペンスキー大聖堂の中に立て篭もったものの、殺されたといいます。またこの時助かったユーリー大公も、3月4日のシチ河畔の戦いの時に死亡してしまいます。
モンゴル帝国のユーラシア支配は、ロシアのほとんどの地域に及び、このウラジーミルもその支配「タタールのくびき」を受け入れざるを得ませんでした。ロシア全体が停滞する中、北西ルーシでは外敵の侵入を許すことになりますが、それを撃退したのが有名なウラジーミル大公、アレクサンドル・ネフスキーです。当時ルーシ諸侯国最大の勢力となっていたウラジーミル大公国の公だったアレクサンドル・ネフスキーは、ネヴァ川の戦いでスウェーデン軍を破り、チュード湖で行われた氷上の戦いでドイツ騎士団を撃退しました。彼はキプチャク汗国の支配を受け入れていたものの、年代記においてはルーシ随一の英雄として讚えられ、死後はイヴァン雷帝時代に列聖されることになります。その遺体は、他のウラジーミル大公とともにウラジーミル市のウスペンスキー大聖堂に安置されていましたが、18世紀にピョートル大帝がサンクト・ペテルブルクのアレクサンドル・ネフスキー修道院へ移してしまったそうです。
ネフスキーの死後、ネフスキーの息子たちの権力闘争の中、13世紀末までにウラジーミル市はその重要性を低下させていきます。そして、ウラジーミル市の繁栄は南西にあったモスクワ市の急速な発展とともに陰ることになり、1326年には府主教座もモスクワに移り、宗教的にも政治的にもその影響力の低下は決定的で、その後モスクワに取って代わられることになります。
以後、あまりロシア史において重要な役割を担うことはなくなりました。街には帝政時代のトロイツカヤ教会なども残っています。
ソ連時代には輸送用機械、化学、繊維工業が主な産業でしたが、ソ連時代からのトラクター工場が現在も稼働しているため、まだまだ活気にあふれている感じがあります。
この街は中世ロシアの美しい諸都市群「黄金の環」の一部を成し、現在は観光地としても有名で、ウラジーミルとスーズダリの白壁の教会群は、1992年に世界遺産に登録されました。ウラジーミル市の近くには、アンドレイ・ボゴリュプスキー公が住んだ宮殿跡や、世界遺産に登録されたポクロフ・ナ・ネルリ教会などもあります。
(参考文献・『ロシア・ソ連を知る事典』P76、『コンサイス外国地名辞典』P120、)
(この項目は、カウンタ15000ヒット記念として、奥野さんからの要請により追加しました。)
(05/02/24作成、)
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