フランス戦争

三十年戦争の第四期。三十年戦争の1635年から1648年までを指します。ネルトリンゲンの戦い(1634)でのスウェーデン軍の敗北は、スウェーデンから参戦初期の勢いを完全に失わせました。これによって、スウェーデンを使って代理戦争をさせていたフランスは、とうとう直接介入に踏み切りました。1637年にはフェルディナンド二世は死亡し、息子のフェルディナンド三世が即位し、戦争をしかたなく継続します。仏軍はコンデ親王やテュレンヌ将軍などの活躍によって戦況を有利にすすめ、ロクロワの戦い(1643)ではスペイン軍を破りました。この時フランスでは、すでにリシュリューもルイ十三世も死亡していてマザランとルイ十四世にかわっていた。スウェーデンは幼い少女であるクリスティーナが即位し、名宰相ウクセンシェルナに補佐されて、グスタフ・アドルフ二世の死亡後も三十年戦争に参加しました。スウェーデンには有能な武将達がいたため、フランスとともにドイツ各地を転戦し、いくつもの勝利を手にしました。1645年にはヤンカウの戦いで皇帝直属の最後の軍隊を撃破して、皇帝の将軍の多くを戦死させました。1641年に講和会議を開始することが決まりましたが、会議は遅れに遅れ、1644年になってようやく始まりました。しかし、どちら側も完全な勝利を手に入れていなかったので、有利な時に講和しようとして会議はなかなか決着をみず、結局1648年のスウェーデンのプラハ占領によってやっと決着が着きました。これによって結ばれたウエストファリア条約は、フランス・スウェーデンの完全勝利といっていい内容であり、後に「神聖ローマ帝国の死亡証明書」とも呼ばれました。

(04/04/10作成、)