| フス(ヤン・フス。Jan Hus。フシネツのヤン) チェコの宗教家、大学教授。1370年頃〜1415年生没。1370年ころに南ボヘミアにあるフシネツ村に生まれます。貧農の子供でしたが、カレル大学に進学し、神学を修めます。1398年からプラハ市のカレル大学の教授となりました。彼はウィクリフの影響を受けた説を説いて、教会を批判。1402年にはプラハ市内にあるベツレヘム礼拝堂の主任司祭(兼任で説教師にもなっています)となって、チェコ語での説教などをして人気を集めます。1409年、カレル大学の総長に選任。しかし教会への批判のため1410年にプラハ大司教から破門され、1411年には教皇から破門されてしまいます。南ボヘミアの領主フラーデクの城へ身を寄せたフスは、そこで『教会について』や『説教書』などを書きます。彼の説いた説は「救霊予定説」とも呼ばれ、1414年、神聖ローマ帝国の皇帝ジギスムントが開いたコンスタンツ公会議において逮捕され異端とされ、翌1415年の7月6日にフスは焚刑にされてしまいます。彼の説に影響された立場を取る人々をフス派、彼の死後におきた戦争をフス戦争といいます。 (参考文献・『角川 世界史辞典』P803、『東欧を知る事典』P420、) |
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