プラハ王宮窓外放擲事件

1618年5月23日、プラハ王宮前に集まった千人以上の群衆は王宮内に乱入し、皇帝マティアスの代官二人とその書記を、王宮の窓から18メートル下の堀にほうり投げてしまいました。これが「プラハ王宮窓外放擲事件」です。これは皇帝・旧教諸侯側の介入を招き、三十年戦争とよばれる長く悲惨な戦いにおける嚆矢となりました。

(参考文献・教育文庫『世界の歴史 9 絶対主義の盛衰』P46(18メートルという高さを書いてあった)、)
(03/12/31作成、05/02/21修正、)