ロシア旅行記・2日目(6月15日)・その5

アレクサンドロフスキー公園と無名戦士の墓

アレクサンドロフスキー公園

このアレクサンドロフスキー公園は、もともとクレムリンを取り巻く堀だったものを公園にしたもので、西側の城壁に沿って続いています。太い舗装道路が2本あり、その間の区画も含め、木々が植えられ整備されています。この写真は確かトロイツカヤ塔の右下あたりにある土産物屋の近くで南方向を向きながら撮影したものだったはず。もともとモスクワのクレムリンは、モスクワ川とネグリンナヤ川の合流点に築かれた要塞から発展したもので、この堀はそのネグリンナヤ川があった場所です。ですから、この公園は公園の脇を平行して走るマネージナヤ通りよりも、全体的に一段低い位置に作られています。1508年から1516年の間に、幅32メートル、深さ12メートルもの堀が掘られました。そして、1801年に堀は暗渠として埋め立てられ、その後このような公園となりました。公園の名称のアレクサンドロフスキーが誰のことなのかは不明。
クレムリン内を見学した後に、公園へと降りてみました。クタフィヤ塔の脇に下に降りる階段があるのでそこから降り、土産物屋を見たあと、無名戦士の墓のある北の方へ向かいます。

連絡橋のトンネル

クタフィヤ塔とトロイツカヤ塔を繋ぐ連絡橋は、ほとんどの橋脚の間を埋めてしまってありますが、空いている部分もあります。これで公園の北側と南側を行き来できます。これは南側から撮影したもの。連絡橋だけでもこの高さがあります。

トロイツカヤ塔を背にして

後ろの塔はトロイツカヤ塔で、左に見える黄色い外壁の建物が宮殿兵器庫。塔の下の壁はクタフィヤ塔とトロイツカヤ塔を結ぶ連絡橋の一部です。連絡橋をくぐって北側に出たところで撮影。連絡橋や人と比べると、塔と壁の巨大さがわかるでしょうか。
1485年からクレムリンの改築がはじまり、10年かけてほぼ現在と同じ形になりました。城壁や塔はその頃に完成し、長くその外観を保ってきました。

城壁と宮殿兵器庫

城壁の全長は2235メートル。高さは最低でも5メートル、最大で19メートルもあります。厚さは3.5メートルから6.5メートルと場所によって違います。ここは昔は堀だったのですから、高低差はさらにあったはず。城壁の上にはのこぎり歯状の矢狭間がありますが、城壁全体で1045個だそうです。

馬と噴水

アレクサンドロフスキー公園内にはいくつか噴水があります。どの噴水にも彫像が一緒にありましたが、この馬のが良かったです。「水」と「馬」の組みあわせは民俗学的によく使われるモチ−フのようですが、ここのはそんなのとは関係ないでしょう。彫像も噴水も、たぶん近代に作られたもの。
ところで下の写真のほうの背後に、建物の絵を描いた幕が張ってあるのがわかるでしょうか。これはこの旅行の3ヶ月前の3月14日から15日の夜に火事で焼失してしまった、マネージ(中央展覧会場。中央展示館)という建物を覆っている幕です。描いてある絵はかつてのマネージの姿だったかな。当時は修復工事中だったわけです。
実はこの建物が焼けた日は、ちょうど大統領選の当日で、はじめはテロかとも思われましたが、漏電による失火だとわかりました。外壁は残りましたが、内部は完全に焼けてしまい、こうして貴重な文化財がくだらない理由で失われることになったのです。わずかの差で見れなかったのはとても残念でした。

スレドニャヤ・アルセナリナヤ塔とその下

クレムリンの城壁が成す三角形の頂点と、西側の壁の中心にあるトロツカヤ塔の中間点にある塔がスレドニャヤ・アルセナリナヤ塔です。三角形の頂点にあたる位置にある塔がウグロヴァヤ・アルセナリナヤ塔というそうですから、それぞれ何か関連があるのかもしれません。背後に見える黄色の建物は兵器庫です。
この塔の前に何か不思議な構造物が見えますが、この時ちょうどこの一帯の改修工事らしきことが行われていたので、ちゃんと見ることができませんでした。憶測ですが、これは近代になってはやった、疑似廃虚の類いなのでは。ピョートル大帝がこうしたものをペテルゴフの宮殿にも作ってたはず。
さらに右手側にオベリスクが立っているのが見えますが、これはたぶん「革命家と思想家のオベリスク」だったような気が。ただし、無名戦士の墓の前にもオベリスクがあったと思ったので、そっちが「革命家と思想家のオベリスク」のような気もします。確認できず。
「革命家と思想家のオベリスク」は、ロマノフ朝開闢300年記念で作られたもので、はじめはロマノフ朝の皇帝の名前が刻まれていましたが、レーニンがこれを革命家と思想家の名前に書き換えさせ、オベリスクの頂点についていた双頭の鷲を地球をイメージした金の球体に代えさせたとか。
クレムリン内には「クレムリンの衛兵隊長と士官学校生徒のオベリスク」というのがあるそうですが、気付きませんでした。

墓地から戻る兵士たち

無名戦士の墓地へ向かう途中に墓地の方から戻ってくる兵士たちをみかけました。墓地の衛兵の交代は一時間ごとくらいだったかと。

ウグロヴァヤ・アルセナリナヤ塔と無名戦士の墓

中央の塔がクレムリンの三角形の頂点に位置するウグロヴァヤ・アルセナリナヤ塔です。左にみえる赤い建物は国立歴史博物館。塔の右下に人が集まっている場所に無名戦士の墓があります。
無名戦士の墓は、第2次世界大戦で戦死した数多くの人々を弔うためのもので、もともとはモスクワ郊外のクューコバ村(?)にあった共同墓地から、1967年に改葬されました。
墓地といっても、ソヴィエト的な巨大モニュメントがあるわけでもなく、水を湛えた四角い窪みとその中央にある星型の彫刻、そしてその後ろにヘルメットと軍旗の彫刻があるのみです。星型の彫刻からは戦没者追悼のための「永遠の火」が灯されています。墓の両脇には微動だにしない衛兵が立ち、墓を守っていますが、一定時間ごとに衛兵交代があり、それを目当てに待ってる観光客がたくさんいます。この写真は実は旅行4日目に撮影した写真ですが、すぐに衛兵交代の時間がやってきて、あまり待たずに見ることができました。四つ目の写真は右手側から歩調を合わせて行進してくる交代の兵士たち。
三つ目の写真の奥にあるガラス張りの小屋は監視所?
面白かったのは、上官らしき人物が見張りに立つ兵士の身なりを整えている(?)ところ。この時だけではなく、違う日にもやってたから、毎回やってるのでは?

英雄都市の碑

無名戦士の墓の右隣には第2次世界大戦で果敢にドイツ軍と戦ったソ連の諸都市を讚えた石碑が並んで置いてあります。ちなみにこの写真のはヴォルゴグラード(当時はスターリングラード)の石碑。こういう都市のことを「英雄都市」というのだそうです。なにげなく置いてありますが、英雄都市ひとつあたり、数万とか数十万の人が死んでいるというものばかりです。石碑の中には、それぞれの都市の土が入っています。これといって目立つものではありませんが、無名戦士の墓を見るのなら、これも見過ごせないものです。椅子代わりに座ろうとしたり、荷物を置いたりしないようにしましょう。

補足「英雄都市の碑の一覧」を見るならこの文をクリック。

この鳥は!

アレクサンドロフスキー公園でよく見かけたのがこの鳥。一見すると何の鳥だか気付きませんでしたが、これはカラスです。そう、ロシアのカラスは真っ黒じゃないのです。
奥野さんから聞いた話では、ロシア人が日本にやってくるとカラスを指して「あの真っ黒な鳥は何だ」と聞いて、カラスだと知ると驚くとか。この黒くないカラスのほうが驚きです!