ロシア旅行記・4日目(6月17日) その1

考古学博物館

考古学博物館

今日こそはと思い、また早朝に武器庫へと向ったのですが、またもチケットが売り切れで入場出来ず。で、それじゃあ、ということでクレムリンに隣接する歴史博物館へと向いましたが、なんと今度は歴史博物館が休館。ちょうど、博物館の2階部分に荷物を入れる作業をしていたためだと思われます。なかなか思う通りに行かないのがロシア旅行の特徴のひとつかもしれません。ですから、この程度のことでうろたえることも無く、次の目的地へと向います。今度は歴史博物館のすぐ前にある考古学博物館です。入り口がすぐ地下へと向う階段になっていて、地下にチケット売り場があります。ちなみにここの入場料は50ルーブリ、写真撮影の許可が25ルーブリでした。しかし、これは観光客用の値段設定であって、ロシア国民であれば11ルーブリで入ることができます。ロシアでは「外国人料金」というものがあって、さまざまな公共サービスにおいて外国人は大目に払うことになります。こうした入場料などもインフレなどによって変化があるので注意。
この考古学博物館の背後にある建物は有名なホテル「モスクワ・ホテル」ですが、ちょうど解体の工事をしていたため、緑色のネットがはってありました。このホテルは再建される予定でしたが、その後再建は取りやめになってしまいました。

地下に残る橋の一部

この博物館が地下にあるのは、この場所にあった古い時代の橋を埋もれた状態のまま見ることができるからです。モスクワ市の北側からクレムリンまで通じているトヴェリスカヤ通りは、クレムリンの北側にあるヴァスクレセンスキー門という門へと通じています。門の手前はネグリンカ川を利用した堀になっていて、そこに架かる橋がありました。それがヴァスクレセンスキー橋です。すでに堀は全て埋められ、それとともに橋も長い間埋もれていたのを、こうした形で見学することができるようになっています。
ここで興味深いのは、橋の構造体が下部になればなるほど、古い時代の様式によって建設されていることが分かる点です。上のほうは赤いレンガ造りになっていますが、下のほうは白石で橋の足を組んでいるのです。ヴァスクレセンスキー門はクレムリンの北側から赤の広場へと入るための重要な門で、橋も幅の広いしっかりとした石造のものでした。この橋脚部分が橋のどの部分にあたるのかはわかりませんが、博物館内部がアーチの下をくぐることもできるような、橋そのものを取り込んだ構造になっています。
あと面白かったのは、橋の足と足の間に組んで穴をふさいでいる丸太があったことです。これは堀を流れる水の水量が減ったため、水が流れる場所を任意の場所に集中させるために取り付けられたものだといいます。
地上の入口から下って入っていくと、階段を下ったところに受付があり、そこと同じ深さに博物館の一部があり、アーチをくぐるとさらに1階分くらいは深いつくりになっています。より深い部分は天井が高く作ってあります。どちらにもガラスケースでさまざまな展示物が置いてあります。館内はそれほど広くなく、簡単に見て回るだけであれば30分程度でも可能です。我々が見たときはさんざんじっくり見たので、一時間半以上はいたような気がします。
左の一番下の写真は、この橋のかつての姿を復元したディオラマ。いつの時代のものかは分かりませんが、石造の広い橋なので、16〜17世紀ころのもの?
ディオラマを見ると、堀の幅は結構あるものの、ネグリンカ川が細いのが分かります。

昔の生活用品

考古学博物館の中に展示されているのは、当時の農具や生活用品の発掘品です。鎌や壺、鋤やハサミや遊具、桶、コインなどが展示してありました。
どれもガラスケースに入っていて、それぞれに番号が付けられ、同じケース内にある小さなパネルにそれの品名だけが簡単に列記してありました。展示品に対する説明が少ないのがロシアの博物館の特徴です。まあ、ロシア語で説明がついていても私は読めないのですが。
昔は手斧が生活の必需品だったので、斧の刃の部分がたくさん残ってるようでいくつか展示してありました。中には柄が残っているものもありました。真ん中の写真の斧の隣に置いてあるものは他でも何度かみかけた発掘品ですが、何なのかいまいちよくわかりません。鍬やスコップのようなものの柄が取れた状態なのかもしれないと思っています。

桶と靴

桶は大きなしゃもじみたいなものが付いていたので、もしかしたら洗濯桶かもしれません。しゃもじみたいのは、洗濯板かも。まったく確信はありません。
あと、下の拡大した黒いものは帽子か靴だったはず。
上の写真の左上のものは、白樺の皮を編んで作ったものですが、袋だったか靴だったかは思い出せません。
白樺の皮のバケツ

これは白樺の皮を使って作ったバケツです。高さは50センチくらいはあったかと。白樺はロシアではありふれた木で、その樹皮がきれいにはがせることからさまざまなものに加工されて使われました。
道路に使用された板

かつて、ロシアの町々では道路に木材を敷いて道路を整備しました。これは木材が豊富だったことと、雪解けによって道がぬかるんでしまうため、そうしたことが行われたのだと思われます。大変な資金と労力を要するため、大きな都市の主要な道にだけ敷設されました。
館内には一部だけそうした敷設道路が再現されていました。展示だけで上を歩くことはできません。

クレムリンのディオラマ

ロシアの博物館にはディオラマが展示してあることがよくあります。考古学博物館もその例に漏れず、モスクワのクレムリンのジオラマがあります。もちろん、現代のものをそのままディオラマにしたものではなく、古い時代のクレムリンの様子を再現したものです。ガラスケースに覆われた縦横4〜5メートルほどの大きなディオラマによって、クレムリン内の建物の様子や、ちゃんと機能していた頃の堀やネグリンカ川、モスクワ川につき出した水くみ場、クレムリン周囲の町の様子などを見ることが出来ます。思ったより多くの教会があるのが確認できました。モスクワ市はクレムリンの三角形を東側に拡大する形で発展してきたのですが、ここにはいわゆる「キタイゴロド」と呼ばれた街区までが再現されています。
また、橋脚の写真のところで紹介しましたが、クレムリン全体のディオラマとは別に、この博物館にある橋の昔の様子もディオラマにされてあります。
我々が見ていたとき、ちょうど小学校の社会見学だったらしく、先生に引率された子供がたくさん来て、これを囲んでいました。

クレムリンを聖ヴァシーリー聖堂側から見た場合

中央に見える赤の広場の中にある教会がタマネギ型の屋根と奇抜なデザインで有名な聖ヴァシーリー聖堂で、城壁の向こう側がクレムリンの中心部分。つまり、クレムリンを東側から見ている状態です。写真の右上に潰れた六角形のものが見えますが、ディオラマのガラスケースに写った天井の照明(?)です。
手前のキタイゴロドの街がきれいに区画整理されてるみたいに見えますが、当時はこんな感じだったのでしょうか。このディオラマがいつの時代の状態を再現したものなのか分かりませんが、クレムリン内部に主要な教会が揃っていて、城壁も整備されていることから、16世紀末以後のようです。
赤の広場との間の堀

現在はまったく埋め立てられてしまっていますが、クレムリンの中心部と赤の広場との間にはやはり堀がありました。ネグリンカ川とモスクワ川を結んで水が流れていたようですが、このディオラマを見る限り、堀には煉瓦らしきもので整備されていて、護岸工事した川のようになっています。塔ごとの前にはそれぞれ橋が架かっています。
西から見たクレムリン

クレムリンを西側から見た状態です。太いモスクワ川とそれに合流する細いネグリンカ川によって作られる三角形の土地にクレムリンが建設されたのがわかります。
ガラスケースに光が反射して上手く撮影できませんでした。
クレムリンの西の先端の二重城壁

クレムリンの西の先にあたる部分を南側から見た状態。モスクワ川との間には二重の城壁があります。クレムリンのある丘と下を流れるモスクワ川との間には平らな土地が少しあり、現在はクレムリン河岸通りとなって城壁は内側のものしか残っていませんが、当時はその平らな部分をより堅固にするため、このような二重の城壁が築かれたのかもしれません。外側が薄く塔の少ない城壁になっています。
キタイゴロドの外の堀

キタイゴロドの外側にもかつては堀、もしくは川があったようです。
船橋

ディオラマのモスクワ川には、このような船を連ねた上に板を乗せた船橋が再現してありました。キタイゴロドの前から対岸に伸びていました。

装飾建材

教会や宮殿、公共施設や商人などの裕福な人物の家屋、といったものに使用されたと思われる、レリーフを施した石材です。はじめは板状のものかと思いましたが、意外と厚みがあります。
鳥や獣、植物などが描かれ、どれも素晴らしい装飾が施してありますが、ただ彫っただけのものや、塗料のようなものが塗ってあるもの、鬼瓦のように使ったのか四角くない形のもの、などいろいろあります。
考古学博物館があるあたりの再現ディオラマ

考古学博物館などがある場所を含むクレムリンの北側地域を再現したディオラマです。右側の緑の部分は整備された後のアレクサンドロフスキー公園ですから、近現代の状態を再現したものかと思われます。

インク入れ?

たしかインク入れか何かだったと思います。でも、吊るすためらしき穴が開いてるので、もっと別のものだったかも。側面に描かれた動物は右側は馬ですが、左側がよく分かりません。馬に獅子が噛みついているようにも見えます。獅子の顔が微妙に豚に見えなくもないですが。

湯沸かし

何か飲み物を沸かすためのもののようですが、デザインが良かったです。両側に注ぎ口があって、それぞれは獣の顔のようになっています。
装飾品らしきもの

ペンダントのような装飾品のひとつだと思いますが、この博物館内では特にデザイン的に気に入った1品。ダチョウのような鳥の胴体に人の顔がついていて、煙管をくわえています。この奇妙な生き物はもしかしたら、ロシアの昔話のたぐいに出てくる妖怪かもしれません。


ロシアで良く見た昔の櫛は、多くがこのような両側が歯になった短い(たぶん手にちょうど収まるくらいの大きさ)櫛でした。素材は木や動物の角らしきものでした。。

十字架のお守り

信心深いロシアのキリスト教徒たちは、このようなお守りを肌身離さず持っていたようです。中には凝った作りのものもあり、小さな十字架の中にはさらにキリスト像や聖人像が彫られています。三つ目の細長い十字架などは、本当に小さいのに、さらにその中に聖母子像が彫ってありました。
金属製のものや、骨や木などで作ったらしいものもありました。

十字架のペンダント

十字架はこのようにペンダント状にして持ち歩いた場合が多かったのではと思われます。
中には金をかけて琥珀を十字架の形に彫らせた者もいたようで、下の写真のような琥珀製の十字架が展示されていました。
分銅

交易によって栄えたモスクワですが、商人たちが商品などの重さを計るにはこうした分銅が使われました。
遊具

写真の上にあるものは分銅にも見えますが、これはチェスのコマらしいです。左下のはサイコロです。

水滴型の兜

モスクワは幾度か戦いの舞台ともなりましたが、当然戦いの道具も発掘されています。
この写真はロシアでは代表的な三角帽のような水滴型の兜です。ひっかかるところのない流線型が、頭への斬撃を受け流してしまいます。
気になったので兜の内側を撮影してみましたが、完全だった状態を再現してある
わけではなく、発掘したときの状態だったので、内側は何もなかったです。
斧の頭

先にも書きましたが、ロシアでは手斧は生活必需品でした。家を含めた生活に必要な道具は、自ら木から削って作ってきたのです。
そしてその斧は戦いの時には最もありふれた、そして強力な武器になりました。博物館にはたくさんの斧の頭の部分がありましたが、中には戦いに使われたものもあったかもしれません。
鍬らしきものと鐙

先の尖った丸みをつけた板が先程も書いた鍬かスコップらしきもので、その手前にあるのが、たぶん馬に付ける鐙だと思います。
鉄砲の銃身

鉄砲の銃身も展示されていました。発掘したものなので、木製部品は無くなっています。
鉄砲の部品

中央に写っている変な形の金属板は火縄銃などの点火装置などの部品だと思われます。
左上に写っているのは槍の穂先か矢の矢じりかと。
作りかけの鉄砲の弾

上の写真の右奥に見える小さな棚に乗ってたのが、この弾丸です。真ん丸じゃないのは、作りかけだから。作るための型に入れて、冷やしたのがこの状態で、たぶん出っ張ってる部分は切り取ったり削ったりするのでしょう。
鉄の砲弾

鉄かどうかはわかりませんが、金属製の砲弾です。小さいものでも大人の拳くらいはありました。
石の砲弾

金属製のものはよくありますが、珍しいのが石で作った大砲の弾。金属で作れば値段がはるので石で作ったりした場合もあったのでしょう。威力などで金属製のものに劣ったはず。石の砲弾というのは、大砲の歴史の中でもよくよく作られてきたものなので、ロシアだからとか特別なものだったとか、そういうわけじゃないと思います。
一週間くらい後に行ったノヴゴロドでも石の巨大な砲弾がありました。

特別展示

博物館内の一番深い部分はさらに奥に特別展示を行っている小部屋が付属しています。我々が行ったときには、オカ川沿岸にあるロスチスラヴリのある街の遺構からの発掘品が展示してありました。この街は『ロシア原初年代記』には出ていない新しい街で、リャザンの領土の一部だったようです。
上の方の写真がその街があった丘を写した写真で、下の方の写真が街の地形図。現在はうっそうとした森に覆われてしまっています。
骨角器

動物の骨か角で作られた釣り針らしきもの。時代はいつごろのものなのかはわかりません。
毛抜き

金属製の毛抜き。紐を通すためか、何かにひっかけるための部品がついています。右側の白いのは何か不明。

指輪いろいろ

何で作られているかわかりませんが、いろいろな指輪が並べてありました。
こめかみ飾り

女性がこめかみにたらすようにして付ける装飾品です。展示ではどこに付けるのかが分かるようにしてありました。意外と大きき装飾品です。
コイン

各地と交易が行われたらしく、中にはアラブ製コインも混じっています。

毛皮獣の取引の図

何かの写本の中に描かれている挿し絵を大きくプリントしたものがありましたが、これは重要な交易品である毛皮獣の取引の場面らしきものです。男たちが束ねて持っているのが毛皮。

年代記の挿し絵など

上の毛皮獣の取引の図のほかに、年代記などからの挿し絵がいくつか飾ってありましたが、左の上の図はチェルニゴフ公ミハイルがどうこうという内容のものだと思います。
下の方のは中世ロシアの騎兵の絵。