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無名戦士の墓
五日目もはじめは武器庫のチケットを買いに行ったのですが、やはり買えず、結局諦めることに。これは本当に残念でした。しかし、他にも見て回るものは数多くあり、こんな事でもたもたしてはいられません。
そこで、昨日は入ることが出来なかった国立歴史博物館に行くことにし、ついでに途中にある無名戦士の墓を見て行くことにしました。クタフィヤ塔のチケット売り場から下にあるアレクサンドロフスキー公園を歩いて北の方へと向かいます。このアレクサンドロフスキー公園は、もともとクレムリンを取り巻く堀だったものを公園にしたもので、西側の城壁に沿って続いています。そして、その公園の一番北の部分に無名戦士の墓はあります。このお墓は第2次世界大戦によって戦死した人々を弔うために作られたもので、墓の中央にある星の形の墓碑には、常に弔いの灯火が灯っていて消えることはありません。ここには必ず衛兵が立って墓を守っているのですが、時間がちょうどあえば衛兵交代のパフォーマンスを見ることができます。
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英雄都市の碑(写真はオデッサのもの)
無名戦士の墓の隣にはたくさんの石碑が並んでいます。これは第2次世界大戦において、国土防衛のために活躍したソ連各地の都市を讚えるための石碑です。レニングラード、キエフ、ミンスク、ヴォルゴグラード、セヴァストーポリ、オデッサ、ケルチ、ノヴォロシスク、ブレスト、トゥーラ、ムルマンスク、スモレンスクの12都市の名前がそれぞれ取り付けられています。写真はオデッサのもの。
ところで気になったのは、ブレストの石碑。この街は激戦の果て、ドイツ軍によって占領されてしまい、これに怒ったスターリンからはブレストで戦っていた人たちは裏切り者扱いされるということがあったはず。ブレストの街はスターリンの死後に名誉回復されてるので、それ以降にこの石碑は作られたのかもしれません。
補足「英雄都市の碑の一覧」を見るならこの文をクリック。
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国立歴史博物館
クレムリンの城壁が作る三角形の頂点の外側にある赤いレンガ造りの建物が、国立歴史博物館です。19世紀の後期にV・シエルヴートが設計したまるでお城のような外観は圧倒的で、クレムリンに負けない雰囲気を出してます。正面側はマネージ広場に面した方で、建物の前にはジューコフ元帥の巨大な騎馬像(!)が据えてあって凄くかっこいいです。正面から見て左手にあるヴァスクレセンスキー門は歴史博物館とひっついています。博物館の正面右下には建設者の顔がついたプレートが取り付けてあります。ちなみに博物館の入り口は左側にあります。
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中央のホール
歴史博物館は、中に入るとまず中央のホールまで行き、そこから2階に上がって、回廊状の展示室を見ることができます。特にホール自体には展示品はないものの、なかなか壮麗な感じがします。そして、この中央のホールの天井には、ロシアの君主の系譜がイラストで表現されています(この写真にも一部写っています)。しかし、残念なことにこの写真を撮った時は、何らかの理由があって(理由は忘れてしまいました)撮影しなかったです。
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丸木船
展示は時代を追っていくように順序よく並んでいるので、はじめに展示されているのは先史時代の石器やら細骨器やらですが、そこを過ぎると紀元前後の遺物が置いてあります。その中に、発掘された保存状態の良い丸木舟1艘が、ガラスケースに入ってそのまま展示してあります。バルカン半島にスラヴ人が流入した頃のビザンツ帝国の記録には、彼らが丸太を刳り貫いた小舟を使用したという記述があります。たぶん、ロシアのスラヴ人が使った初期の船もこういったものだったのだろうと想像しながら見てました。
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『ロシア原初年代記』時代の武具
ロシアに国家が建設された9世紀の終わり頃から12世紀のはじめまでの歴史が、『ロシア原初年代記』という年代記に書かれています。ここにはその時代に使われたものも、多数展示してあります。年代記に登場する人物たちが使ったのと同じような武具もありました。ロシアで最も一般的だった武器は手斧でしたが、裕福な人々は剣を使いました。北欧から流入したものが広まりましたが、写真では特徴的な大きな柄頭がよく分かります。
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グリヴナ
『ロシア原初年代記』を読んだことがあるのなら、もしくは中世ロシア史について書かれた本を読んだことがあるなら、「グリヴナ」という貨幣単位を何度も見たことがあるかと思います。日本語訳『ロシア原初年代記』の注にはキエフのグリヴナは面が長方形の六面体の形に鋳造された銀貨であると書かれ、写真もついています。そして、その写真とまったく同じものがここにありました。本物のグリヴナです。ひとつ400グラム程度の銀の塊で、当時の人々はこれを使って物を売り買いしたのです。なんだかワクワクしてきます。ちなみに、ウラジーミル1世の治世の末年には1グリヴナで北欧からの傭兵を一人雇えました。グリヴナの形状は地域差があったようで、棒状のものや扁平なものも展示されていました。
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リューベチ
このイラストと写真は、リューベチでの発掘品のケースに飾られていました。リューベチとは、ドニエプル川の中流沿岸にある街で、交易の拠点として栄えていました。はっきりいって、中世ロシア史をやったことのない人にはまったく知られていない街です。ですが、自分はこのイラストと模型の写真を見たときに、すぐにこれがリューベチだと気づきました。丘の上にある要塞のような街。日本語訳『ロシア原初年代記』の注にあるイラストと、城壁の形も建物の配置もそっくりだったのです。嬉しくてしょうがないです。ここらへんの展示はひとつひとつに大興奮でした。
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石人さん
ユーラシアの大半を領有したロシアの博物館にふさわしく、騎馬民族の遺物や、中央アジアからの発掘品も数多く展示されています。昔、ユーラシアを駆け巡る騎馬民族は、このような人の形をした像「石人(せきじん)」を作り、いろいろな場所に設置しました。この石人がどの地域のものとか、どの時代のものとかは覚えてないのが残念。結構、大きいです。
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偽ドミートリーさま
目を見開いて見るがいい! このお方こそ、近世ロシアのスーパーアイドル「偽ドミートリー1世」様だ!
偽ドミートリー1世は、混乱していた17世紀のロシアにおいて、自らを皇帝イヴァン4世の息子ドミートリーだと偽って、ロシアの帝位を手に入れようとした人物です。「動乱」時代の登場人物の中でも、とくに興味深い人物の内のひとりです。この人の肖像画にろくなものは無いんですが、これが一番カッコよく描いてあります。
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デスマスク
歴史博物館は展示室が回廊状になっているのですが、その中央部分にも展示室があって、だいたいは特別展示を行っているようです。自分が行った時は、ピョートル帝以降の歴代皇帝や関連人物の遺品を多数展示してありました。肖像画や使用した生活用品、装飾品などがありましたが、軍服などの衣服がとてもカッコよかったです。そうした展示品の中には、このような金属製の人の顔があったのですが、これはなんとピョートル1世のデスマスクなんだそうです。
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カザン聖母教会
赤の広場の一番北の角にあたる部分にあるのが、このカザン聖母教会です。歴史博物館の出入り口の目の前にあります。正式名称は「カザンの聖母マリアイコン教会」というそうです。小さいながらも赤・白・緑のコントラストが印象的な教会で、比較的大きな鐘楼がひとつ付いているのが面白いです。この教会は、ソ連時代に取り壊されましたが、1993年に再建されました。ソ連崩壊後、最初に再建された教会です。面白いことに、この教会は現役の教会として実際に使用されていることでしょう。よく礼拝などをやっていて、運がよければそうしたものが見聞きできるかもしれません。ただ、本当に現役で使用されているので、観光地気分で騒がないよう気をつけるべきでしょう。内部での写真撮影は禁止されています。
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外務省ビル
歴史博物館を出たあと、いろいろ見て回りましたが、地下鉄に乗ってアルバーツカヤ駅に。そしてここで見たのが外務省ビルです。駅を出たすぐ近くにあるのですが、あまりにも巨大すぎて大きさが実感できません。はじめは別のビルの一部なのかと思っていたら、そのビルの向こう側に立ってるのが見えてただけのようでした。この外務省ビルのようなむやみやたらに大きく作るこの建築様式はスターリン様式といって、スターリン時代に好んで建てられました。モスクワ市内には他にもホテル・レニングラードやモスクワ大学など、この外務省ビルに似た感じのビルが存在します。この写真はビルの下から撮ったものですが、大き過ぎて全体がフレームに入り切りませんでした。そびえ立つとかそそり立つといった形容詞が似合う素敵ビル。
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外務省ビルの下部
ついつい上にばかり目がいってしまいますが、下部もカッコいいデザインです。オベリスクが立ってます。オベリスクに街灯がついてる不思議なセンス。オベリスクの隣にある台は何なのかは不明。反対側には無いし。
ちょっと意外なのは、ビルの真下の敷地はそれほど広くなく、しかも雑然と車が駐車してあったりします。テロ対策とか大丈夫なのかな。
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外務省ビルの一部
外務省ビルは一本のビルがそれだけで建っているというような、つまらないデザインではなく、スターリン様式のビルによくあるように、左右に広がっています。右の一番小さい部分でさえも、普通のビルくらいの大きさがあります。それを考えると、左に一部だけ見えている中央部分の高さが突出しているのがよくわかります。
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外務省ビルの上部
今度は上部を良く見てみると、何かマークがついているのが分かります。良くみると、鎌とハンマーを稲穂が囲む共産党のマーク(そういえば、このマークの名称ってなんていうのでしょうか)がついています。貼り付けてあるというより、レリーフのようなもののようです。たぶん、ビルを設計した人は、ソ連が崩壊するなんてことは考えていなかったのでしょう。いまだついたままです。こういった昔をしのばせるものは至る所で見ました。たしか、後で行くノヴゴロドでも一番大きなビルにこのマークがありました。
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