悲惨な下級宦官の生活



 去勢を行えば、次の日からすぐさま宦官になれるという訳ではありません。この見習い宦官ともいうべき者たちは王府で宦官の実務を習うためにまず、師父を決める事から始めます。この師父となる者はすべて地位が高く、歳をとっている宦官で、新人宦官は師父について宮廷内の規則や礼儀作法を学ぶこととなります。宮廷内の制度・行事・用語・禁忌・礼儀作法などは一般社会とかなり異なり、非常に複雑かつ特殊なものだったので、それを全て学ぶには幾年もかかります。例えば叩頭や、ご機嫌伺いにしても、幾通りもの様式があり、いつ、誰に対して行うかは、すべて一定の形式がありました。その他、髪を梳く、お茶を淹れる、お茶をつぐ、膳を並べることから、勤務上の衣服の着方、伝達、返答など、すべてに一定の作法がありました。当然マニュアルなどありませんからすべて師父から教えてもらうほかなく、師父の起床飲食に侍って学び取る事になります。

 宦官の社会は完全な階級社会でしたので、階級が一つ違えば絶対に逆らうことの出来ない世界でした。その中でも新人宦官は最下層であり、何かで腹を立てた師父が自分の気持ちを晴らす場所がないときは、そのはけ口をすべて新人宦官に向けるため、彼らは酷い目に遭う他ありませんでした。
 一度宦官になってしまうと、もう一般社会には戻れません。彼らはどんな酷い目にあっても宮廷から逃げ出す訳にもいかず、ただひたすら忍耐の日々を送らなければなりません。しかも、そんな厳しい社会の中で、出世できるのは一握りの者だけで、それ以外のほとんどの宦官は安い給料で一生働かされ続けるのです。
 しかし、一度出世して皇帝の寵愛を受けるようになれば、大臣や官僚達を牛耳る事が出来、うまくいけば皇帝に代わる程の権力を持つことが出来るようになるのです。このように、ひとたび高位に登り詰めた宦官にとって後宮というのは天国に等しい場所となりますが、下級宦官にとっては単なる地獄に過ぎません。

 さらに、下級宦官にとって非常につらい困難が待ち受けています。全く出世することが出来ず、一生下級宦官のままで歳をとっていった者たちは、歳をとって勤務に耐えられなったり、病気になったりすると、たちまち王宮から追い出されてしまいます。明代では、大多数の下級宦官はほとんど乞食同然の姿で、日々餓死する者もあり、清代初期には追放された宦官が北京に居住する事を許さない決まりすらありました。すでに一般社会で生活する能力も無く、安住の地もない彼らは寺廟に身を寄せ、そこで寂しく一生を終わらせる事になります。一度宦官になってしまうと、親族からはもはや一族とは認めてもらえず、死んでも一族の墓所には葬らせてもらえないので、異郷の地に骨を埋めるしかないのです。
 この宦官の寺廟は北京、上海、広州、福州などに存在しているのですが、寺廟に入るためには、あらかじめ寄付金の様なものを支払わなければならないので、それすら払えない貧乏宦官たちは各地を放浪して野垂れ死ぬか餓死か凍死するしかありませんでした。