宦官は何故無くならなかったか(その2)



紫禁城略図 すごく広いですね。  さらに長い宦官制度の歴史において、宦官というものが専門職になっていった事が挙げられます。宮廷内においては、一般社会と違った制度、行事、習慣、用語、禁忌、礼儀作法、規則などがありました。拝跪の仕方を例にあげると、主子(下僕や奴隷に対する主人)に対して、ご機嫌を伺ったり返答をしたりする場合の跪き方は、まず左の膝を、次に右の膝を落として跪き、体は真っ直ぐに伸ばし、帽子を脱いで右に置きます。このとき、腿の下の袍に皺を作ってはなりません。天子の下問に対しては、いつ頭を上げるか、その際の目線はどこにむけるかなどに、一定の決まりがありました。また、謝恩、謝賞あるいは万寿節(皇帝誕生日)に際しては、主子に対して三跪九叩(三回跪き、各三回、計九回頭を低く下げる)の礼をしなければなりません。この他にも地上に頭を打ち付け、地を打つゴツンという音を立てるものや、片膝だけを地につけるものなど、多種多様です。これら全てを身につけなければ、内廷での生活は不可能なのです。

 民国初期(一九二三年)に溥儀(宣統廃帝)が宮廷内の宦官制度の廃止を断行したことがありました。これは溥儀がイギリス人を家庭教師に持ったために、宦官に対する考え方がそれまでの歴代皇帝と異なっていたことや、あまりに堕落した宦官に対して憤慨した事が原因なのですが、いざ宦官追放令を出してみると(それでも百人ぐらいは残した様ですが)全くと言っていいほど宮廷内の運営がうまくいきません。警備の為に役人と衛兵を宮廷内に配置しますが、溥儀の食事の準備をする者すらいないという有様で(単に食事といっても皇帝のそれは一定の進献様式と皿数とが決まっており、会話に使う言葉ですら一種独特のものが使われるなど、宦官以外では運用できないようになっていました。)結局、一ヶ月ほどで宦官を増やすことになってしまいます。この様に複雑な規定や慣習のある宮廷内の諸事は、宦官以外の者には出来なくなってしまったというのも制度廃止が出来なかった理由の一つなのです。
 宦官というものが皇帝の私生活に於いて必要不可欠なものになっていたからでしょう。空気と同じく「あって当たり前」の状態になってしまったものを廃止することはなかなか出来ないことだと思います。