何故、日本に宦官制度がなかったのか



 中国において宦官は商(殷)の時代に起源を求める事が出来るのですが、日本において商代との類似点を持つ古代社会(大和朝廷)では、異民族との幅の広い接触、征服という事実はなく(朝鮮半島南部との関係は対異民族的性質のものであったとは言えない)、また、日本では地形的な理由により、騎兵というものが発達せず、そのため明治初期まで馬に去勢を行うという習慣がありませんでした。つまり、奴隷や異民族を去勢して使うという発想がなく、結局、日本の自然環境が島国であった事が宦官を作らなかった最大の理由と考えられます。

 また、日本は唐代にさかんに大陸文化を輸入しましたが、何故か宦官制度を輸入しませんでした。これは「必要がなかった(知らなかった)」からだと思われます。中国での宦官の存在理由の一つに、中国人の嫉妬深さから来る「後宮の純潔を守るため」、「内廷の運用のため」、「刑罰として宮刑があったため」などが挙げられますが、日本に於いては中国と後宮の概念が異なり、男子禁制でもなく「貞淑」という概念が希薄でしたので、後宮の純潔を守るためということに関して必要がありませんでした。また内廷の運営も後宮の規模の違いなどから女官によって運営されており、わざわざ宦官を使わなくても問題はありませんでした。また、宮刑は唐の前の王朝である隋の時代に廃止されていますので、制度としては唐の時代にはありませんでした。これ故に唐の刑罰制度を輸入しても宮刑=宦官は導入されません。
 このような理由により日本には宦官制度が入ってこなかったものと思われます。