1.宦官の政治関与の始まり

 東漢王朝は、宦官が勢力を握った最初の王朝ですが、王朝の初期からそのようになっていた訳ではありません。初期の光武、明、章の三帝の時代は内治・外交ともに順調で宦官が政治に立ち入る隙などありませんでした。
 東漢政権の変調は第四代の和帝の時代から始まったと言ってもよいでしょう。紀元88年に三代目の章帝が急に崩じた為、和帝が即位することになるのですが、和帝はわずか十歳で当然自ら執務を取ることなど出来ず、皇太后(皇帝の母)の竇氏が摂政となって政治をみるようになりました。その結果、太后の兄である竇憲を中心とする外戚グループが三輔地方の豪族を中心に勢力を固め、政治を独占するようになりました。ところが、和帝が成長すると、当然、皇帝としての実権を取り戻そうと考えるようになります。
 この時に白羽の矢が立ったのが、和帝の皇太子時代から仕えていた鄭衆でした。鄭衆が選ばれた理由は、一つには鄭衆の誠実な人柄、二つに宦官である故に常に宮中におり、外戚一派にバレずに密談が出来るという事であり、和帝による皇帝権の回復という政変が終結すると、鄭衆は特別に大長秋という顕職に任じられ、これを契機に宦官による政治介入が始まるようになります。