両晉十六国の宦官たち 




 三国鼎立から40年ほどが過ぎて紀元3世紀の後半になると、曹魏政権の実力者であった司馬氏は、クーデターにより曹魏帝を廃して西晉王朝を建国します(265)。280年には最後に残った孫呉を滅ぼし、東漢末以来100年近く分裂していた中国はようやく統一される事となります。
 折角統一された西晉王朝も、八王の乱などの内乱により国力を衰弱させ、北方のモンゴル族や西方のチベット族ら塞外民族の侵入によりわずか数十年で滅亡してしまいます。
 この時、八王の乱を避ける為に、中原の貴族の一団と共に軍隊を引き連れて南下し、建康で動乱の様子を眺めていた人物に司馬睿が居ました。司馬睿は西晉最後の愍帝が平陽で殺されると、建康で即位して晉王朝を復活させました(東晉)。東晉は王導などの名族により擁立されて即位した為に君権が弱く、またそれら名族間の権力争いによって政権不安が発生し、兵権を把握した者に威圧され続ける性格の王朝でした。

十六国時代の各国  晉が南方に逃げ出した後の華北では、侵入してきたモンゴル族やチベット族などが中国風の国を作って興亡を繰り返し、匈奴族の漢(前趙)北涼、羯族の後趙、鮮卑族の前燕後燕西燕南燕北魏(代)西秦南涼、テイ族の前秦後涼、羌族の後秦、漢族の前涼冉魏西涼北燕北涼と、全部で19も出来上がります。このうち、華北を統一した北魏と短期政権の西燕と冉魏を除いた16国を総称して五胡十六国といいます。(胡はえびすという意味で、最近では胡を差別用語として省き、単に十六国ともいいます)
 各国とも一部族集団が成長していったもので、部族的性格が強く、皇帝も族長的な意味合いを色濃く残していました。統制力のある皇帝であればいいのですが、一度戦いに敗れたり、統率力のない者が帝位に就いたりすると、たちまち国家は崩壊してしまいます。
 こんな混乱の時代に宦官がどう生きていったのか見てみるとしましょう。

1.両晉の宦官について

2.十六国の宦官について