1.両晉の宦官について

晉の武帝(司馬炎)  西晉は、多くの制度を曹魏より引き継ぎ、宦官制度についても曹魏と同じく宦官勢力の増大を抑制できる制度ではありました。しかし、初代皇帝である武帝(司馬炎)の性格が荒淫であり、後宮の人数を増やしたために自然と宦官の数も増加しました。八王の乱の際も宦官の董猛孫慮などが歴史の表舞台に顔を出し始めますが、西晉そのものが滅んでしまった為、これ以上の発展はありませんでした。
 貴族の力の強い東晉になると、宦官の活躍の場はますます減っていき、史料の上から姿を消してしまいます。ただし、宦官自体がいなくなった訳ではなく、宮廷の奥深くで雑役を行うだけの存在として細々と生きてはいました。しかし、決して歴史の表舞台に顔を出すことはなかったのです。