
《字統》ある情念、情操を心に懐抱し、懐蔵することをいう。
(逸周書謚法解)
【幸義揚善曰懐】
[意味] 善を以て人を揚(挙)げることをいう。
[彙校] 「幸」は諸本に「執」とする。《史記正義》には「懐」を「徳」とする。《資治通鑑・漢紀》に注として、「執義行善曰徳」とする。
《爾雅・釋詁》に「懐は止なり」とあり「とまる」の義を持つが、これは執の義から来たものである。しかしここでは「つかさどる」の義であろう。
【慈義短折曰懐】
[意味] 慈愛の心を持つが、夭折することをいう。
[彙校] 「義」は諸本に「仁」とし、《通典》には「人」とする。
短は60に満たないこと。折は30に満たないことをいう。ここでいう懐とは傷のこと。

《字統》簡の本義は簡札。竹簡のことをいう。
(逸周書謚法解)
【令民安樂曰樂】
[意味] 民を教え導き、富ますことをいう。
[彙校] 諸本には、この条を楽ではなく康とする。《正義》には「令」を「合」とする。

《字統》木の柄のある手鈴の形のこと。
(逸周書謚法解)
【壹徳不解曰簡】
[意味] 怠ることなく徳を示教することをいう。
[彙校] 《晉書・郭奕傳》には「一徳不懈」とし、「懈」は「解」に通じて「ゆるむ」の意。《左氏正義》には「徳」を「意」とするが、《世説新語・文学編》《金史・礼志5》《続博物志》には「徳」とする。
壹とは「何事にも屈しない」の意。《晉書》に「郭奕は太康8年に卒した。詔には『謚は生前の行いにより宣される。《謚法》に壹徳不懈曰簡とあり、奕は忠毅(忠義でこころの強いこと)清直(清く正しいこと)にして徳を立てるに劣らなかった』とあり、これにより郭奕は簡と贈謚された。」とある。
【平易不疵曰簡】
[意味] 平穏無事であることをいう。
[彙校] 疵とは病がちであるの意。平とは傾かないの意。易は難しくないの意。
「疵」は《五経正義》には「[此/言]」とする。疵は古くは「[此/言]」に通じる。

《字統》神聖な場所を示すために標木として建てる禾形の木のこと。
(逸周書謚法解)
【辟土服遠曰桓】
[意味] 武力によって四夷を征すること。
[彙校] 辟土とは僻地のこと。
《正義》《前編》に「克敬勤民曰桓」及び「僻土兼国曰桓」の条があるが、両条とも本書には無い。落簡したのか。

《字統》祝祷を収めた器を鉞などの聖器で緘封し、その呪能を守り、これにより神の感応を得ることをいう。
(逸周書謚法解)
【満志多窮曰感】
[意味] 志を満ち足りたと思い、何をしてよいかわからなくなること。
[彙校] 《五経正義》に「感」を「惑」とするが誤り。「感」は古くは「憾」の字に作る。注は憾の義となっている。

《字統》正字は巍に作る。高く大きいさまをいう。
(逸周書謚法解)
【克威捷行曰魏】
[意味] 威があり、行いの敏いこと。
[彙校] 《史記・年表索引》に「克捷行軍曰魏」とする。「捷」とは敏疾であること。「魏」は高いこと。
【克威恵礼曰魏】
[意味] 威ありと雖も、礼に逆らわないこと。
[彙校] 《通考》に「恵」を「順」とする。「魏」は大名(立派な名前、すぐれた名誉)をいう。

《字統》幸は手枷のかたちで、その手枷をされた人を置くところを圉という。
(逸周書謚法解)
【威徳剛武曰圉】
[意味] 威と徳により乱患を御すること。
[彙校] 《史・表6》索引に「剛」を「強」とする。「圉」は御の事。漢の高陵侯の王虞人の謚号が圉である。《漢功臣表》に貴圉侯陳賀がいる。
※陳賀:漢の人。舎人を以て高祖に従って[石昜]より起こり、都尉を拝命。後、韓信に従って項籍を撃ち、将軍となる。功により費侯に封ぜらる。

《字統》恭敬の意を含む。共は恭の初文であり、その字形は竜形の神像を奉ずるもので、その奉ずる心意をいう字。
(逸周書謚法解)
【敬事供上曰恭】
[意味] 尊上を敬うこと。
[彙校] 「恭」は奉ること。周王伊扈の謚は「共」であるが、共と恭とは同じ。《弾弓》の疏に「(晉の)申生は(驪姫に陥れられて)窮地に陥り、ついに父に殺される。孝の心ありと雖も、理を通せず。故に孝とは言えない。但し、父母に従順であったところから謚を恭とする」とある。
【尊賢貴義曰恭】
[意味] 賢人を尊び、義士を貴ぶこと。
[彙校]
【尊賢敬譲曰恭】
[意味] 徳がある人を敬い、功のある人を譲ること。
[彙校]
【既過能改曰恭】
[意味] 過ぎ足るを知り、それを改めること。
[彙校] 《独断》に「既」を「知」とする。《唐書・許敬宗傳》《続博物志》《唐會要》には「既」とする。
《左襄13年傳》に「楚の共王卒し、子襄が謚を謀った。君の事跡は赫赫たる楚国に君臨し、蕃夷を撫じ、南海を奄征(くまなく征する)し、諸夏(中華の諸国)に屈し、その過ぎたるを知る。故に謚を共とする」とある。
【執事堅固曰恭】
[意味] 物事を執るのに堅実であること。
[彙校] 「堅」とは堅実(外から破られない)の意。「固」とは牢固(中から破れない)の意。
【安民長悌曰恭】
[意味] 民を兄弟の様に愛すること。
[彙校] 《正義》《史記正義》に「安民」を「愛民」とする。《通考》に「愛民悌長」とする。
「悌」とは兄を敬愛するの意。兄弟が仲睦まじくするの意。
【庇親之門曰恭】
[意味] 親を庇うこと。
[彙校] 《魯語》に「閔馬父曰く『周の恭王は昭穆の誤りを庇った為に恭となる』」とあり、注に「庇は覆なり。恭王は昭王の孫、穆王の子である。昭王の南征に反せず、穆王の欲肆(欲をほしいままにする)にも反しなかった。昭穆の行いは誤りではあるが、恭王はこれを庇覆した。故に謚を恭とする」とある。
【尊長譲善曰恭】
[意味] 年長を貴び、善を押し進めること。
[彙校] 尊長とは年長を尊ぶこと。譲善とは徳を貴ぶこと。
【淵源流通曰恭】
[意味] 形の無いものを避けること。
[彙校] 洪範の注に「水淵というものは自在である。人の貌は形のあるものであり、流れは無く、通ることも出来ない。形のないものは不粛である。」とある。これは容貌が恭であることを指す。

《字統》秘匿の聖所で、重要な行為の為に出発する儀礼を行う意である。その出発を清め、神徳を明らかにしものを正すこと。
(逸周書謚法解)
【貞心大度曰匡】
[意味] こころが正しくて明察であること。
[彙校] 明察とは物事の奥底まで明らかに見抜くこと。明細に監察することをいう。匡には正の意がある。

《字統》鐘声の清揚なるものを神がこれをうけることを希う意。[音欠]と声義が同じ。
(逸周書謚法解)
【威儀悉備曰欽】
[意味] 威儀を全て備えていること。
[彙校] 威とは畏れること。儀とは象どること。欽は敬である。この謚は後唐の明宗に用いられている。
※後唐の明宗:謚は「聖徳和武欽孝」。一族は代北の遊牧民であったが、人格の誠実さを買われて、唐太祖(李克用)の養子となり、荘宗(李存勗)に従って契丹侵入を防ぐなど、後唐建国に功があった。後に荘宗を攻め、荘宗が禁軍の反乱により殺されると即位した。即位後は、宦官や宮人を減らす等内政改革に努めた。君権強化の為に罪なくして臣下を誅殺した。

《字統》稽首(中国における最も重い礼。頭を地につけて敬礼する)するときの姿勢をいう。その少し前に傾く姿勢から「かたむく」の義がある。
(逸周書謚法解)
【敏以敬順曰傾】
[意味] 物事に応じるに敬順であり、尚かつ素早いこと。
[彙校] 《漢書》《史記正義》には「傾」を「頃」とする。《景王13王傳》には「中山頃王、頃の音は傾」とし、頃は音が傾に通じる。また、「傾」を「慎」とする本もあり、《謚議》に「《通鑑・周紀》の注に『敏以敬順曰慎』とある。蘇洵の《嘉祐謚法》にも「敏以敬順曰慎」とあるが、ここでは頃謚の説に従う。

《字統》日景(影)を考えて方位を定めること。
(逸周書謚法解)
【由義而済曰景】
[意味] 義を用いて成し遂げること。
[彙校] 景には正大にして楽を顕す義がある。
【布義行綱曰景】
[意味] 物事の本道によって義を行うこと。
[彙校] 諸本には「綱」を「剛」とする。
義を他に施す、故に「布」という。剛を内に出す、故に「行」という。「義を布き剛を行う」、その功績は光大(大いに光彩を放つ)である。《魏書・羊祉傳》に「大常小卿の元端、博士劉台龍が謚議していった。『(羊)祉の志は埋輪(東漢の張綱が地方の風俗を徇行(巡り歩く)せよと命じられた時、まず要路の姦臣を除くべしと称して、車輪を埋めて敢えて赴かなかった故事)にあり、彊を防ぐに避けず、戒律(軍律)を厳しくし、その裁は決断に富んでいた。節義に従って行動し、藩(属国)を撫んじ、夷までその徳を識る。異なる風習を変え、子供を背負うように懐仁を布く。《謚法》に「布徳行剛曰景」とする。故に謚を景と宣す。』とある。

《字統》神事を敬慎することから、すべてのものを敬重にすること。敬愛・尊敬・敬服などは後起の義。
(逸周書謚法解)
【夙夜警戒曰敬】
[意味] 常に身を慎み自分を制すること。
[彙校] 《通考》に「警」を「敬」とする。夙夜とは朝夕の事(夙には「早くから」「平素」の意がある)、常なることをいう。外に於いて防ぐことを警という。内に於いて凛(おごそか)するを戒という。
【夙夜恭事曰敬】
[意味] 常に物事に応じるに恭敬なること。
[彙校] 《左傳・閔元年》の孔晁の注に「恭」を「勤」とする。《唐会要》80に「恭」を「就」とする。《金史・礼志》には「共」とする。
「恭」は物事を掌するに慎みあるの意。

《字統》古くは愛恵の意より敬慎の意にいうことが多い。後に恵愛・恩恵の意に用い、仁恵はさらにその後の義。
(逸周書謚法解)
【柔質受課曰恵】
[意味] 性格が柔和で諫言を受け入れられること。
[彙校] 《正義》に「柔質受諫曰慧」とする。《論語・衛霊公篇》に「好行小慧」とあり、注に「魯では慧を恵と訓す」とある。慧は古くは恵としたのであろう。

《字統》祭祀の際に神事としてささげること。おそらく献器を原義とする字で、犬はその器を釁する(清める)ための犬牲の意であろう。
(逸周書謚法解)
【博聞多能曰獻】
[意味] 博聞にして多能だけれども道を究めるに至らない事を言う。
[彙校] 博聞とは知らない物のないこと。多能とは習わない芸のないこと。
《正義》に「博文多能曰憲」とする。古くは「献」と「憲」は通じる。《史記正義》、《文選・王文憲集序》の注、《唐会要》79、《謚議》には「憲」とする。
《英華》82の《張説贈太尉裴行検神道碑》に「太常(礼儀、祭祀及び天子の行う行事を司る役所の長官)が謚を議するに、『古いことに博く、文武に通じるを憲という』」とある。《唐会要》に「《謚法》に『聖善周達曰憲』と『聖善周達曰宣』という条がある」とあり、古くは宣と憲とは一つの謚であったと考えられる。後の人が転書するときに誤って二つに分けたのであろう。
【聰明叡哲曰獻】
[意味] 物事の全てに通じ、知らぬ物のない事を言う。
[彙校] 《正義》には「知質有聖曰献」とする。《唐會要》には「叡哲」を「睿哲」とする。《漢書・河間献王傳》《爾雅・釈言》《続博物志》《英華》840《宣宗謚義》には「睿智」とする。
聰とは聞いたことのない物がない事。明とは見たことのない物がない事。微に通じる事を叡といい、先に知ることを哲という。《漢書・景十三王傳》に「河間王が徳立26年に薨じた。中尉の常麗が奏して「王は正しく政治を行い、温仁にして恭倹、篤敬にして愛下(民を愛する)、明知にして深察、鰥寡(男やもめと寡婦)に恵みを与えた。今、奏するに《諡法》に『聰明叡智曰獻』とある。よって諡を獻王と宣す」とある。

《字統》堅い土をいう。緊圧によって固まった土のこと。
(逸周書謚法解)
【彰義俺過曰堅】
[意味] 義を明らかにすることにより、前過を覆うこと。
[彙校] 《通考》に「俺」を「[拾+廾]」とする。[拾+廾]は覆うの意。堅とは実のこと。

《字統》人の首の部分を丸く大きな形で示した人の全身形。故に兀とは首を失ったものをいう。転じて元日・元用のような祭祀用語となった。
(逸周書謚法解)
【能思辯衆曰元】
[意味] 深思して規則を弁じて人民を長人(立派な人)にすること。
[彙校] 元は大地の大徳のこと。つまりは活きる者をいう。衆に思弁(考えを弁ずる)することは人を知る事でもある。人を知るということは人を官する事である。(官には役人の意がある。ここでは役人に登用するの意と考える)故にこれを元という。
【行義説民曰元】
[意味] 民に義を説くこと。
[彙校] 行義とは長幼などの類である。人は皆、測隠の心(同情心)をもっている。私心を無くして他人の為に物事を行えば、礼仁足りて長人となる。故にこれを元という。
【始建国都曰元】
[意味] 国都を創建すること。
[彙校] 元とは始まりのこと。周公が国都を始建することを元と称するゆえんである。《爾雅》に「元は始まりなり。造りて早々大きな基礎を立てる。故に元という」とある。
【主義行徳曰元】
[意味] 善を立て、徳のある政をおこなうこと。
[彙校] 主義とは義を以て主とすること。
《魏書・馮熙傳》に「《謚法》に『善行仁徳』とする」とひく。《通典・礼33》に「《謚法》に『尊仁貴徳』とする」とひく。

《字統》善良の意。
(逸周書謚法解)
【思厚不爽曰愿】
[意味] こころが広く、傷つけないことをいう。
[彙校] 《正義》《通考》には「思慮不爽曰篤厚」とする。《前編》も「思過不爽曰厚」とするがこれは誤り。思厚とは心が厚い(深い)こと。不爽とは厚徳を傷つけない行いをいう。愿とは謹愨のこと。意味からすると美諡であっても良いと思われるが、ここでは通志に従って平諡とする。

《字統》声符の古は祝祷を収めた器に形。北方族を胡というのは頷下に瘤を病む者が多いからとする説もあるが、音の仮借であろう。
(逸周書謚法解)
【保民耆艾曰胡】
[意味] 老年であるが、民に慈恵であることをいう。
[彙校] 《続博物志》《金史・礼志》には「胡」を「明」とするが誤り。「耆」は60才の事。艾は70才の事。胡は寿のことである。

《字統》大と?(大の下の部分)とに従う会意文字。[呂氏春秋][荀子]などには奢侈・矜誇の意に用いられている。
(逸周書謚法解)
【華言無實曰夸】
[意味] 言葉がでたらめで実のないことをいう。
[彙校] 「夸」と「誇」は通じ、大、張の意。唐沙門《一切経音義》巻11に「《諡法》に『華言無実曰誇』とあるが、これは自ら誇大とするに欲しいままであることをいう。

《字統》老の省文と子に従う会意文字。その声義は畜養の意があるとする。[説文]には老者に承順する意とする。孝を徳目の名とすることは、[左伝]文2年「孝は礼の始まり」など、儒家によって論理説として組織されたもの。
(逸周書謚法解)
【五宗安之曰孝】
[意味] 先祖から子孫に至るまで安泰にすることをいう。
[彙校] 上の五宗とは高祖、曾祖父、祖父、父、自分の事を指し、下の五宗とは自分、子、孫、曾孫、玄孫の事をさす。つまり先祖代々子々孫々をいう。安とは世爵世禄をその身に安んじることを以て心を安んずることをいう。「宗安」という言葉があるが、これは自らの仁により親から上は祖に至るまで不安の内容にすること。これは孝の類である。この孝諡は古くは釐諡の一類であった。
【協時肇享曰孝】
[意味] 祭祀を承り忘遠しないことをいう。
【秉徳不回曰孝】
[意味] 徳に従って逆らわないことをいう。
[彙校] 秉とは執持(持ち司る)のこと。回とは邪のこと。

《字統》亡父を考といい亡母には妣という。考妣の意に用いるのが字の原義。
(逸周書謚法解)
【大慮行節曰考】
[意味] 節操を守り成し遂げることをいう
[彙校] 行節は節操を持ち行うこと。生死の際だとしても奪うことのできないものをいう。考は成し遂げるの意。この条は《逸周書・諡法解》には孝諡となっているが、《正義》にこの条は「威」「祈」の諡の後ろにあり「孝」に続かない。《公羊・隠元年疏》にもこの条は「考」としている。転書した際の誤りであろう。この2字は字形が似ているため誤りやすく、《史記・燕世家》の孝公が《漢書・人表》には考公とある。実際に、周の考王嵬や魯の考公就、楚の考烈王熊完、衛の考伯など考諡を用いている例があるので《逸周書・諡法解》にこの条がないのはおかしい。

《字統》庚と米に従う会意文字。静かなりとする義と廟中の康樂(やすんじたのしむ)をいう義がある。
(逸周書謚法解)
【温年好樂曰康】
[意味] 豊年が続き黍や稲が多く穫れ、民の安定する事をいう。
[彙校] 温年は注釈本には「豊年」とする。「豊」は古くは「温」とした。《正義》には「温柔」《前編》には「温良」とするが誤りである。この条の前には「淵源流通曰康」という条があった。(ここでは恭諡として載っている)《原本玉篇廣部》に「《大載礼》に「令民好樂曰康」とする。亦、《諡法》に「淵源流通曰康」とある」としている事からも明かである。
【安楽撫民曰康】
[意味] 四方の民を撫んじることをいう。
[彙校] 国運の安らかなること。《続博物志》には「撫」を「治」とする。

《字統》
(逸周書謚法解)
【外内従乱曰荒】
[意味] 官が治める事をせず、家に理の無い事をいう。
[彙校] 《前編》《通考》には「従」を「縦」とする。漢の建平侯杜業、紅陽侯王立の謚が「荒」である。
※杜業、王立ともに王莽のために殺された、憂死した人。
【好楽怠政曰荒】
[意味] 音楽と色事に耽る事をいう。
[彙校] 《唐会要》80に「《諡法》に「凶年無穀曰荒」とあるが、これは「糠」の誤り。

《字統》康声の形声文字。康は杵で臼の中の米をつく意の字。
(逸周書謚法解)
【凶年無穀曰糠】
[意味] 凶作で穀物のない事をいう。
[彙校] 諸本には「糠」を「康」とするが、《漢書・諸侯王表》に中山糠王昆侈が見られることから「糠」諡があるのは明かである。荒諡と字義が近いせいか、混同する例が多い。

《字統》亢声の形声文字。亢は頸脈のあるところ。これを表すのは、抵抗し抗議することを意味する。
(逸周書謚法解)
【逆天虐民曰抗】
[意味] 理に逆らい、民を害する事をいう。
[彙校] 原本及び《慧林音義》にはこの条を「煬」諡とするが、《正義》《前篇》には「抗」とする。「抗」は古くは「煬」とされ、また「康」とする。
《史記正義》に「逆大虐民曰抗」という条があり、これは「大国に背いて民に暴虐なこと」を指す。

《字統》木を彫り刻む刻彖(こくろう)の形。しるすの意。後に克己の意に用いるようになり、字義は次第に内面化していく。
(逸周書謚法解)
【愛民在刑曰克】
[意味] 政によってこれを正道に導き、刑罰を斉しく行う事をいう。
[彙校] 《通考》に「在」を「引」とするが誤り。

《字統》岡と刀に従う会意文字。岡は鋳型。これを刀で裂いて外すので剛の意が生じた。
(逸周書謚法解)
【彊毅果敢曰剛】
[意味] 強く猛々しく勇敢な事をいう。
[彙校] 彊は元々強い弓の意。そこから強いという意となる。毅とは堅忍であること。果敢は勇敢であること。漢の棘蒲侯陳武、復陽侯陳胥、都昌侯朱率の謚が剛である。
※
【追補前過曰剛】
[意味] 善に勤め、よく過ちを補うことをいう。
[彙校] 《通鑑》に「建武30年、俄に通剛侯賈復が薨じた」とあり、胡三省の注に「《諡法》に『よく過ちを補うを剛という』とある」とする。