

2)西周以前説
《儀礼・士冠礼》には「古者生無爵、死無諡」とあり、この「古くは」とは周代を指すようです。また、《白虎通義・諡》には堯・舜・成湯などを謚号であるとし、黄帝が諡法を定めたとしています。
3)西周中期説
清末の学者である王国維が唱えた説。西周時代の金文から、周穆王が生前に「穆王」と呼ばれていた事を発見し、諡法の成立時期を西周の共王、懿王以降としました。
4)戦国説
1930年代の郭沫若氏の論文「諡法之起源」によるもの。王国維以降に発見された金文から、春秋中期以降も諡法は無いことが証明されたとして、諡法の成立時期を戦国時代からとしています。
さて、「諡法研究」を初めいろいろ本を読んでみましたが、私なりの解釈では、謚号の始まりについてこんな感じです。
1.商代において謚号より廟号の方が先に存在した事は、金文より判っている。
2.商王朝の中期以降、武丁・武乙・文武丁の様に王号に美称の「文・武」を使うようになるが、これはその王達を祀る祭祀関係の卜辞に出てくるものであるので、のちの追号すなわち諡であると考えられる。
3.しかし、西周初期では青銅器の銘文に王号を生号として表記する事が多く、謚号の習慣は無かったようだ。
4.西周に於いて、貴族が自らの父祖に対して、死後に追号を行う(私諡)習慣があった。
5.そんな中、西周王朝の構成員に対して、公的に追号を行うようになった。(公諡)
6.次第に、諸侯や貴族が周王朝に対して、公諡を申請するようになった。
7.よって、初めは美諡しかなかった。

