謚号の始まり


謚号制度はいつから始まったのでしょうか?。
はっきりしている事は、秦始皇の頃には既にあったということです。
《史記・始皇本紀》の26年(前221)に「朕は太古に号があって諡がなく、中古には号があって、諡は死んだ後、生前の行いによってつけたと聞いている。」と載っています。この事から、少なくとも秦代には諡法が行われていた事は確かな事となります。
では、どこまで遡れるのでしょうか。これには諸説がありますので、それらを紹介してみましょう。
 
1)周公旦制定説
 《逸周書・謚法解》によると、周公旦が周武王が崩じたときにその葬礼の際に制定したとあり、《春秋穀梁伝》もこの説を採っているようです。

2)西周以前説
 《儀礼・士冠礼》には「古者生無爵、死無諡」とあり、この「古くは」とは周代を指すようです。また、《白虎通義・諡》には堯・舜・成湯などを謚号であるとし、黄帝が諡法を定めたとしています。

3)西周中期説
 清末の学者である王国維が唱えた説。西周時代の金文から、周穆王が生前に「穆王」と呼ばれていた事を発見し、諡法の成立時期を西周の共王、懿王以降としました。

4)戦国説
 1930年代の郭沫若氏の論文「諡法之起源」によるもの。王国維以降に発見された金文から、春秋中期以降も諡法は無いことが証明されたとして、諡法の成立時期を戦国時代からとしています。

 さて、「諡法研究」を初めいろいろ本を読んでみましたが、私なりの解釈では、謚号の始まりについてこんな感じです。

1.商代において謚号より廟号の方が先に存在した事は、金文より判っている。

2.商王朝の中期以降、武丁・武乙・文武丁の様に王号に美称の「文・武」を使うようになるが、これはその王達を祀る祭祀関係の卜辞に出てくるものであるので、のちの追号すなわち諡であると考えられる。

3.しかし、西周初期では青銅器の銘文に王号を生号として表記する事が多く、謚号の習慣は無かったようだ。

4.西周に於いて、貴族が自らの父祖に対して、死後に追号を行う(私諡)習慣があった。

5.そんな中、西周王朝の構成員に対して、公的に追号を行うようになった。(公諡)

6.次第に、諸侯や貴族が周王朝に対して、公諡を申請するようになった。

7.よって、初めは美諡しかなかった。

 つまり、商代に生まれた追号の習慣が西周初期に於いて途切れ、再び復活したものの、初期の謚号に褒貶の義は無かったということです。