始皇帝による諡法制の廃止



 紀元前221年、秦の始皇帝は長年に亘る征戦の末についに六国を併呑し、中国の統一に成功しました。始皇帝はそれまでの王号に代わるものとして皇帝号を作り、同時に諡法制の廃止を発布しました。
 
 《史記・始皇26年》には
「朕は太古に号があって諡がなく、中古は号があって諡は死んだ後、生前の行いによってつけたと聞いている。このようなやり方は子が父のおこないを議し、臣が君の行いを論ずることで、はなはだいわれがなく、朕の取らぬところである。自今、諡の法をなくして、朕を始皇帝とし、後世は二世三世とかぞえて万世にいたり、無窮に伝えることとする。(史記 ちくま学芸文庫より引用)
 
 では、なぜ始皇帝は諡法を廃止したのでしょうか。
 その理由について、西漢の賈山※1は、「名号の重複を避ける為」※2とし、元人の胡三省は「後人によって悪諡を加えられることを畏れた為」※3としています。また、諡法研究の著者である汪受寛は上記2説を否定した上で、その原因を秦国の中原に対する反発、始皇帝の生い立ちなどに求めています。
 
 私個人の見解では、秦の統治思想が法家であったことに原因があると考えています。法家において、下の者が上(皇帝)を批判する事は最も忌避すべき行為であり、この諡法廃止令には、そういった意志も込められているのでしょう。


※1 漢潁川の人。頗る書史に通ず。孝文帝の時、治乱の道をいい、秦を借りて喩とし、名付けて至言という。直諫の士だったようですね。
※2 漢書には「秦の皇帝は、子孫代々の皇帝が死後に諡法を用いるならば、父子の名号がときには同じものになりかねないため、一から数えて万に至るようにすれば、世世は互いに同じ名号を重複しないですむ。」とある。
※3 《資治通鑑》 秦始皇帝26年胡三省注による。