春秋の諡法
西周期頃に始まった諡法は、春秋期に入ると次第に給諡される対象が増えてきます。
卿や大夫などが死に、その後嗣が国君に対して諡号を要請すると、国君は臣下と協議して、徳行や事跡などを考慮して諡号を決定します。この頃になると、諡号に褒貶の義が生まれるようになり、幽・氏E霊などの悪諡(※1)を付けられる者も出てくるようになりました。
しかし、その給諡の基準や範囲については各国で違いが見られます。魯・晉・蔡・斉・衛などの国では給諡される者が多く見られ、特に魯国では士人に対しても送られた事例(※2)があるなど、幅広く給諡が行われていましたが、逆に宋では国君だけしかおくられませんでした。 但し、全体的には時代が下るにつれて、給諡される範囲は広がっていきました。
(※1)幽・氏E霊は春秋中期頃までは悪諡として付けられていなかったと考えています。→
獅ヘ悪諡か?
(※2)「礼記 檀弓上」に魯庄公が御者の県賁父に対して諡号を送った事が載っています。