繆賢(びゅうけん miao4xian2)
生没年不詳。戦国時代の趙人。紀元前280年頃には宦者令という宦官たちを司る官職にあった。楚国の宝である「和氏の璧」を趙の恵文王が入手した時、秦の昭王がこれを聞きつけて「秦の十五城と和氏の璧を交換して欲しい」と申し出たことがあった。趙王は群臣と対処を計ったが、これを認めて璧を秦に与えれば、秦は璧を取るだけで城を手放さずに趙は笑いものになるだけであろうし、もし与えなければ秦が攻めてくる恐れがあったので、議論はなかなか決しなかった。それのみならず、秦に返答に行く使者すら見つからないでいた。
秦に到着した藺相如に対し、秦王は章台の殿上において藺相如を引見した。藺相如が璧を秦王に献給すると、秦王はその璧を眺めた後、左右の侍女や侍従らにまわして見せ、侍従たちはみな万歳と祝いを述べた。藺相如はそれをみて秦王が十五城を割譲する意志がないことを悟ると、秦王に対してこう云った。
藺相如は重大な使命に対して、自分の知勇を発揮することで遂に璧を全うして趙に帰ることが出来た。
この時、繆賢が申し出て云った。
「私の舎人(家来)藺相如が使者によろしいでしょう」。
趙王は問うた。
「どうしてそれが判るのか?」
繆賢は答えて云った。
「私はかつて罪を犯したとき、燕へ逃げようと考えていたところ、私の舎人の藺相如が私を止めて云いました。『あなた様はどうして燕王と親しくなられたのですか?』私が答えて『私はかつて大王に従って国境で燕王と会合をしたことがあり、その時燕王は私の手を握り、交わりを結ぼうと願われた。これが私が燕に亡命しようと考えた理由である。』と云うと、藺相如は答えて云った『趙国は強盛で燕国は弱小です。燕王があなたさまと交誼を結ぼうとなさったのは、あなたが趙王のお気に入りであったからです。今あなたさまが趙から燕に亡命されても、燕王は趙王の機嫌を損ねるのを怖れて、匿ってくれることはせず、あなたさまを捕らえて趙国に送り返すにきまっております。それよりも、あなたさまは肌を露わにし、斧の鉄床に首をさしのべて罰を受けたいと申されましたら、罪を免れることが出来るかも知れません。』私はそれを聞き、かれの策に従いましたところ、大王は私めの罪をお許しになられたのです。このように私はこの男を勇気があって知謀にも優れていると認めておりますので、秦国への使者へ推薦するのです。」
それを聞いて景文王は藺相如を召し出して問うた。
「秦王は十五城を私の和氏の璧と交換したいと云うのだが、換えるべきであろうか?」
藺相如は答えた。
「秦は強くて趙は弱いので拒否する訳にはなりますまい。」
趙王はまた問うた。
「秦が和氏の璧を取り上げ、また城もくれないときはどうしたら良いだろうか?」
藺相如はまた答えて云った。
「秦が城と璧を交換しようと申し出ているのに趙がそれを拒絶すればこれは趙の理屈であり(趙に罪があり)、趙が秦に和氏の璧を与えて、秦が趙に城を与えないのであれば、これは秦に無理(道理が無いこと)があります。これを比べれば、和氏の璧を秦に与えて秦の罪にするのがよいでしょう。」
趙王は更に問うた。
「誰を秦への使者にすればよいか?」
藺相如は答えた。
「もし使者に適材がないと仰られるのであれば、臣が璧を持って秦への使者となりましょう。秦の城が割譲されるのであれば和氏の璧は秦に留め、もし城が割譲されないのであれば、私は璧を全う(完璧)して趙に戻って参ります。」
趙王はこれを聞くと藺相如を使者にすることに決め、和氏の璧を持たせて西に向かって秦に行かせることにした。
「その璧には疵があります。秦王に指さしてお教え致しましょう」
こうして璧を秦王の侍従の手から取り返すと、藺相如は壁を手に持ち後ずさって柱を背にして秦王に呼びかけた。
「和氏の璧は天下の宝であり、秦王は五日の間斎戒されたのちにこの璧を受け取るべきで、もし、手荒な真似をしてこの壁を取り返そうとなされば、私の頭を璧もろとも柱にぶつけて割ってしまいますぞ。」
秦王は力ずくで璧を奪うことは難しいと考え、藺相如の云うことに従って五日間の斎戒を約束したが、藺相如は、秦王が斎戒はしても十五城を渡す意志はないと感じたので、密かに従者に璧を趙まで持って帰らせた。
繆賢も人をよく知り、趙王のために知勇相備えた藺相如を推薦し、大功を立てたと云えよう。
☆コメント
どちらかと云えば藺相如の話ばかりになってしまいましたが、恵文王のお気に入りで、藺相如を推薦したということだけが知られている人物なので、しょうがないですね。
藺相如について詳しくお知りになりたければ、「史記列傳」岩波文庫 二巻 廉頗・藺相如列伝 第二十一をご参照下さい。
