曹知愨(そうちかく)

 黄巣の賊軍によって長安が占領されていたころ、宦官の曹知愨というものが壮士を集め、武装した一隊を組織して嵯峨山(京兆雲陽県北15里)に潜んでいた。
 曹知愨はたびたび部下を黄巣軍兵士に変装させて長安城に潜入させ、夜になると長安城内にある黄巣軍の陣営を急襲して焼き討ちしたため、賊軍は鬼神の仕業と立ち騒ぐものや、謀反人がいるのではないかと疑心暗鬼になるものが出るなど、その都度大騒ぎになっていた。黄巣軍に対してささやかな游撃戦(ゲリラ戦)を仕掛けていたのである。
 暗い知らせばかりを受けていた成都の朝廷は、このことを聞いて大いに喜び、曹知愨は内常侍に大抜擢されることになった。

 光啓元年三月に僖宗一行が京師に戻ることになったことを知った曹知愨はこう大言した。

「自分の策略(夜、賊の陣営を焼き討ちしたこと)が無ければ、諸鎮が大軍を率いて賊軍と対峙したとしても京師回復は不可能であっただろう。故に自分の功績は諸鎮に勝るのだ。従駕の諸軍にしてもそうだ。僖宗一行が安心して大散関(岐州と鳳州の間にある関。長安と成都を結ぶ街道に設けられた。)を通過することができるのも、私の功績といっても良いのだ」

 この誇大妄想的な発言は成都を出発しようとしていた宦官実力者の田令孜にまで伝わった。激怒した田令孜は邠寧節度使の王行瑜に密使を送り、曹知愨は王行瑜配下のものに攻められて殺されてしまった。

【資治通鑑 唐紀 第256卷 唐紀七十二 《僖宗惠聖恭定孝皇帝下之上》 中和四年 】

☆コメント
 ゲリラ戦で黄巣軍を騒がせたまでは良かったんだけどね〜。余計なことは云うもんじゃないなってトコですね。田令孜伝を調べている時に引っかかったのですが、本伝には載せられなかったのでここに載せておきます。