馬存亮のご先祖様

 唐代の宦官である馬存亮という人物の先祖について、『全唐文』には、

「公之先族趙奢 嘗以百萬勁兵 號為馬服 制秦呑魏 因而氏馬」
〔意訳:馬存亮の先祖は趙奢であり、かつて百万の強兵を(率い)、馬服君と号された。強国の秦国による魏国の併呑を制止した。これに因んで氏を馬とする。〕

とあり、馬存亮の祖先を趙奢注1であるとしています。
この馬服君に由来する扶風馬氏の末裔は、有名どころでは東漢初めの馬援や三国時代の馬騰などがおり、唐代でいえば安史の乱において李光弼に従って戦功を挙げ、扶風郡王に封じられた馬璘などを挙げることが出来ます。
これ以外には「京兆」「郟郡」「茬平」「臨安」「西河」「広陵」にも馬氏は広がっているようですが、河中の出身の馬存亮はどうなのでしょうか。
『元和姓纂』を見ると、「馬氏 嬴姓、伯益之後。趙王子奢封馬服君、子孫氏焉。奢孫興、趙滅之徒咸陽。」とあり、唐代で馬氏といえば、誰であれ趙奢の子孫になってしまうのかもしれません。
但し、趙奢は紀元前3世紀頃の人であり、唐代の馬存亮からすると、実に11世紀も前の人ということになります。現在の藤原さんが藤原道長の子孫だと自称するようなものかもしれませんね。

注1)趙奢:戦国時代末期の趙国の名将で、収税官であったときに、納税を拒否した王弟の部下を法律通りに処断した事件で王に認められ、秦に攻められた韓が趙に援軍を求めると、救援軍の大将として出陣し、計略を用いて閼与で秦軍を破った。その功績のため上卿に任ぜられ、馬服君と号した。 長平の戦いで大敗した趙括の父でもある。

【『全唐文』巻711 唐故開府儀同三司行右領軍衛上将軍致仕上柱国扶風馬公神道碑銘 】

☆コメント
 大した話じゃないんだけど、「へぇ〜、馬存亮の先祖って趙奢だったんだぁ〜」とトリビアしたもので(笑)