ロシア歴史紀行アルバム10-1

ズヴェニゴロド


 2005年7月3日訪問。
 モスクワの西46キロ、モスクワ川の上流に位置する街で、現在の人口は1万5000人程度の小都市である。しかしその歴史は古く、史料初出は1328年だが、街そのものはそれよりはるか以前から形成されていたものらしい。かつて南西ルーシ地方には同名の都市がいくつか存在しており、その住民が北東に移住した際、新たな居住地に「ズヴェニゴロド」の名を与えたと考えられている。
 モスクワ大公国が勃興すると、ズヴェニゴロドはその西の境を守る要塞の役割を果たし、とりわけユーリー・ドミトリエヴィチ(ドミトリー・ドンスコイの次子、甥のヴァシーリー2世とモスクワ大公位を争った)の下で繁栄の時を迎えている。また1398年には、セルギー・ラドネシスキーの弟子にあたる修道士サッヴァが、ズヴェニゴロドの西側に修道院を開いた。これが後のサッヴィノ・ストロジェフスキー修道院である。
 その後、モスクワ大公国の国境が西へ拡張すると共に、国境哨所としてのズヴェニゴロドの重要性は低下し、単なる地方の小都市に落ち着いた。ただ、サッヴィノ・ストロジェフスキー修道院はロシア正教会の聖地の1つとして崇拝され、今に至るまで多くの巡礼者や観光客を集めている。今回のズヴェニゴロド訪問でも、見学のメインコースはこの修道院であり、ほとんどの写真はここで撮影した。


サッヴィノ・ストロジェフスキー修道院は小高い丘の上に建てられている。修道院への登り口はこんな感じ。


左手にはすでに、木々の間に修道院の白壁が見えている。この日は天気に恵まれ、素晴らしい景観を楽しむことができた。


北側の壁にある通用門。一般の訪問者はここから中に入る。車で来ている人も多いようだ。


中に入ってから通用口を振り返るとこんな感じ。壁の上部に設けられた回廊と銃眼は、かつて修道院が城塞としても使われていた時代を髣髴させる。ちなみに現在残る壁と塔は、17世紀半ばの作であるとのこと。


左手には、トラペズナヤ(食堂)の巨大な建物が見える。残念ながら内部は見学できないようだ。

(05.07.07更新)


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