ロシア歴史紀行アルバム11-1

スモレンスク



 2005年7月23日と24日に訪問。
 西ロシアに位置するスモレンスク州の州都で、現在の人口は32万人程度の目立たない地方都市だが、ロシア史の中でも最も長く豊かな歴史を誇る街の1つである。キエフ・ルーシの時代、スモレンスクはドニエプル上流を押さえる重要な戦略的拠点であり、ノヴゴロドとキエフという2大中心地を結びつけていた。特に12世紀以降、スモレンスクはロスチスラフ(ウラジーミル・モノマフの孫)一門の拠点として、諸公国が分立するルーシの中でも一定の役割りを演じ続ける。
 モスクワ大公国の時代になると、スモレンスクはロシアとリトアニア・ポーランドが対峙する必争の地となり、ここで幾度となく激しい戦いが繰り広げられた。スムータの最中・1611年に街はポーランドの手に落ち、ロシアが宿願のスモレンスク奪回を果たしたのは、ようやく1667年になってからのことであった。
 しかしその後もスモレンスクは、2度にわたってロシアと西方世界との激突を経験している。1812年のナポレオン侵攻時、ロシア軍はスモレンスクに集結し、大陸軍と砲火を交えた。さらに1941年、破竹の進撃を続けるドイツ軍に対し、ソ連軍はスモレンスクとその周辺で粘り強い防御戦闘を展開した。この功績を称え、戦後、スモレンスクには「英雄都市」の称号が与えられている。そしてソ連崩壊後、ベラルーシが独立を果たしたため、スモレンスクは再びロシアの西の入り口としての性格を持つに至った。


早朝のスモレンスク駅。夜行列車で到着した我々を、緑の駅舎がお出迎え。宮殿を思わせる、スターリン時代に特有の建築様式である。正面ファサード右側の「大砲に鳥」はスモレンスク市の紋章、また左に見える星の徽章は「英雄都市」を象徴している。


待ち合い室はこんな感じ。内装が豪華なばかりでなく清潔で、タッチパネル形式のガイドを置くなど(意外に)近代化されていた。ただ、壁にレーニンの絵がかかっているというのが何ともレトロスタイル。


駅舎の外壁にあった記念のプレートで、1941年7月にここでドイツ軍と戦ったソ連の兵士たちを称えたもの。スモレンスクでは、至る所でこの手のモニュメントを見ることができる。


跨線橋の上より。駅舎は立派だが、駅自体の規模はそんなでもない。


駅のすぐ近くにあるペテロ・パウロ教会(赤レンガの聖堂)。ロスチスラフ・ムスチスラヴィチ公が1140年代から50年代にかけて建設したもので、スモレンスクでは現存最古の教会となっている。ビザンツの聖堂を思わせる、シンプルで古い建築スタイルが印象的。また、左手の丘の上に小さくシルエットで見えるのは、スモレンスクの主教座教会ウスペンスキー聖堂である。

(05.08.01更新)


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