ロシア歴史紀行アルバム21-1

ヴィソコ・ペトロフスキー修道院


 2005年10月13日訪問。10月の前半は、ロシアの秋としては例外的によく晴れて乾燥した天気が続いたが、修道院を訪れた日はその最後の時期にあたっていた。
 ヴィソコ・ペトロフスキー修道院は、モスクワの中でも街の中心部に近い修道院の1つであり、それだけに却って人目につきにくいかもしれない。もともとは府主教ピョートル(ルーシの府主教の中でも初めてモスクワに定着した人物。聖人。その活躍は三浦清美『ロシアの源流』に詳しい)が建設したペトロパヴロフスキー修道院が出発点であり、ピョートルはクレムリンの喧噪から離れたこの静かな修道院で時をすごすことを好んだという。現在では想像もできないことだが、当時のモスクワの規模は小さく、修道院のある位置には森が広がっていたのである。そして府主教ピョートルの没後も、修道院は成長を続けていった。
 17世紀後半になると、貴族ナルィシキン家との結びつきにより、ペトロフスキー修道院は新たな繁栄の時を迎える。修道院の南隣に屋敷を構えていたナルィシキン家の人々は、ここで祈りを捧げることを好み、様々な寄進を行なったという。そしてナルィシキン家出身の皇后ナタリヤが産んだ子供は、この縁で「ピョートル」(後の大帝)と名づけられた…と、修道院で買った解説書には書かれていたのだが、本当かどうかは分からない。いずれにせよ、ピョートル大帝の時代に修道院はより発展し、多くの建築アンサンブルが加わった。
 一方ソ連時代に入ると、ペトロフスキー修道院は閉鎖の上で公共の施設として利用された。敷地の一部はゴミ捨て場と化し、荒廃の度合いは目を覆わんばかりだったという。しかし1991年以降、修道院は教会の手に戻され、かつての姿を取り戻しつつある。


ペトロフカ通り側から修道院の正面を望む。赤い色をした背の高い鐘楼が修道院への入り口を兼ねている。


門上に掲げられた聖府主教ピョートルのイコン。


鐘楼を見上げる。建物は立派だが、鐘はまだ戻ってきていないようだ。


門をくぐってから鐘楼を振り返って見たところ。手前の黄色い壁の教会は、18世紀中頃に建設されたトルグの聖母イコン聖堂。


修道院の内部はこんな感じ。左からボゴリューボヴォの聖母イコン聖堂、聖府主教ピョートル聖堂、聖セルギー・ラドネシスキー聖堂が並んでいる。

(05.11.01更新)


ヴィソコ・ペトロフスキー修道院その2へ

ヴィソコ・ペトロフスキー修道院その3へ

アルバムへ戻る