ロシア歴史紀行アルバム22-1

アレクサンドロフ


 2005年10月15日訪問。
 モスクワの北東およそ120キロの地点に位置する街で、かつてはアレクサンドロフスカヤ・スロボダー(アレクサンドロフスカヤ村)といい、歴代のモスクワ大公の狩猟地であった。この村を本格的な別荘地に変えたのがヴァシーリー3世で、ロシア人とイタリア人の職人を送り、豪華な宮殿と聖堂を築かせている。大公は新たな離宮をこよなく愛し、家族と共に何度となくアレクサンドロフを訪れたという。
 ヴァシーリーの息子であるイヴァン雷帝の時代、アレクサンドロフはロシア史の中でも極めてユニークな役割りを果たすことになった。雷帝は父と同じくしばしばこの地に滞在したばかりか、アレクサンドロフにいながらにしてロシア帝国の統治を行なっているからである。とりわけオプリーチニナの時代、雷帝は長期にわたってアレクサンドロフに籠り、側近たちと共に特異な擬似修道生活を送った。この当時、雷帝による弾圧の犠牲となった多くの人々の血がここで流されたと伝えられている。また、1581年に雷帝が皇太子イヴァンを口論の末に殺害したのもアレクサンドロフでの出来事であり、悲嘆にくれた雷帝は息子の棺と共にモスクワへと帰還し、2度とアレクサンドロフに戻ることはなかった。
 その後のスムータ(動乱)時代、スコピン・シュイスキーが一時的に本営を置いたこともあったが、長らく続いた混乱によりアレクサンドロフの建築群は大きな被害を被っている。しかしロマノフ朝成立後の17世紀半ば、かつての離宮跡は修道院として修復された。残念ながらヴァシーリー・イヴァン時代の宮殿本体は現存しないものの、いくつかの教会建築は生き残り、激動の歴史を今に伝えている。


アレクサンドロフの駅舎。街の規模の割には、意外と言ったら失礼だが立派な建物である。


駅前。何てことのない光景だが、アパートの屋上にいきなり「我らが祖国に栄光あれ!」というスローガンが出ていてびっくり。謎だ。


第2次世界大戦で戦った兵士の像と「永遠の火」。ロシアでは至る所でこうしたモニュメントを見ることができる。


レーニン像。ロシア国旗がはためく背後の建物は市の行政府かもしれない。


川を見下ろす高台の上にあった謎の女人像。ピオネールカか何かだろうか。全体としてソ連っぽい感じ。

(05.11.07更新)


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