ロシア歴史紀行アルバム25-1

ペレスラヴリ・ザレスキー


 2005年11月5日と6日に訪問。
 ロシア史上にペレヤスラヴリという名の都市はいくつか存在するが、これはそのうちの1つであり、ザレーシエ(「森の彼方」の意、すなわちキエフ・ルーシの中でもスーズダリやウラジーミルを中心とする北東ルーシのこと)地方に位置することから「ザレスキー」と呼ばれている。「ヤ」の字は15世紀頃に落ちたらしい。
 街の成立は1152年、当時の北東ルーシを支配していたユーリー・ドルゴルーキー公の命令によるものであり、キエフ・ルーシの中では比較的若い都市ということになる。そのため、当初はペレヤスラヴリ・ノーヴイ(新ペレヤスラヴリ)の名で知られていた。しかしながら街としての成長は速く、ウラジーミル大公国の中でも重要な位置を占め、14世紀の初め頃までは独立した分領公国の首都であった。その後はモスクワに併合され、独立した公国というステータスは失うものの、幾度となく重要な事件の舞台となっている。
 現在、街はロシアの有名な観光ルート「黄金の環」の1つに数えられ、観光客が訪れることも多い。12世紀の土塁や聖堂、またイヴァン雷帝時代にさかのぼる修道院建築など、ロシアの古い時代に興味を持つ人にとっては、とりわけ見どころの多い都市である。


ペレスラヴリはモスクワから134キロ程度、バスであれば2時間ほどで到着する。これは街の外れにあるバスセンター。


街そのものはこの先1キロほどのところにある。もちろん路線バスも走っているが、道の途中にいくつか見どころがあるため、ぼちぼち歩いていくのがいいだろう。


そのうちまず最初の1つ、フョードロフスキー修道院(の入り口)。1304年、聖殉教者フョードル(テオドロス)の日にモスクワとトヴェリの軍勢が合戦を行なった場所に建てられたのだという。


修道院の入り口近くに立つヴヴェデンスカヤ教会。1710年、ピョートル大帝の母ナタリヤが寄進して建てさせたものである。


僧房。いまだ修復は行なわれていないようだ。

(05.11.23更新)


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