2006年1月4日訪問。寒い日だった。
17世紀半ば、当時の総主教ニコンは、モスクワの西を流れるイストラ川の畔で新たな修道院の建設を開始した。ノヴォエルサリムスキー(新エルサレム)と名づけられたこの修道院は、その名が示す通り、「ルーシの地に聖地エルサレムを再現させる」という壮大な構想に基づいて作られたものである。修道院の中心にそびえるヴォスクレセンスキー聖堂は、エルサレムの聖墳墓教会と同じ平面図で設計されており、他にもイストラ川を「ヨルダン川」、修道院に隣接する白樺林を「ゲッセマネの園」と呼称するなど、真面目にこの地を第二のエルサレムたらしめようとしていたのである。
当時のロシアはスムータの混乱を乗り越え、ロマノフ朝の下での発展期に入っており、とりわけ正教圏の中では飛び抜けた強国となっていた。また、総主教ニコンはロシア正教会の発展と教権の伸張を押し進め、そのためには皇帝との対立も辞さずというあくの強い人物である。こうしたいくつかの要素が重なり、特異な聖地再現計画が遂行されたのだろう。そして修道院の建築自体も、ニコンの奇妙な情熱を反映するかのように印象的なスタイルとなっている。
1941年、修道院はドイツ軍に占領され、全損に近い甚大な被害を受けた。しかし戦後に長い時間をかけて修復作業が進み、現在ではほぼかつての偉容を取り戻している。
これは出発前、車窓から撮ったモスクワ・リガ駅の風景である。レトロな機関車は展示品なのだろうか。
ノヴォエルサリムスカヤ駅。ノヴォエルサリムスキー修道院へは、ここか1つ手前のイストラ駅からバスなどで行くのがベスト。
駅前から修道院へと向かう街道。
修道院のすぐ近くにはこのような建物が立っている。部分的に伝統的なスラヴ建築を取り入れたようなスタイルで、ネオ・ロシア様式(19世紀末から20世紀初頭)の建築物だろうか。つららがすごい。
いよいよ修道院へ…
(06.01.25更新)