2005年1月29日訪問。
現在はモスクワの市域に飲み込まれているが、かつては南の郊外にあった地区で、1775年にエカテリーナ2世が離宮を建てるために購入した。エカテリーナはこのプランに熱を入れ、当代きっての建築技師ヴァシーリー・バジェノフを起用して壮大な宮殿を築かせようとしたが、建築がほぼ完了しようとしていた1785年に突如としてバジェノフを解任、計画の変更を命じる。その理由は今に至るまで謎とされている。そして女帝の死後、プランそのものが放棄され、巨大な建築は荒れるに任された。
現在、ツァリーツィノ一帯は歴史景観保護地区となり、宮殿の一部も修復の上で博物館となっている。
ツァリーツィノ周辺。森と池に囲まれ、遠くには高層住宅が見える、モスクワ郊外においては珍しくない景観である。
この一帯は市民の憩いの場となっており、スキーやそり遊びを楽しむ人々が多かった。丘の上、林の向こうに宮殿の一部が見える。
ツァリーツィノの入り口ともいうべき「フィグールヌイ(模様のある)」橋。不思議な印象を与える色合いやデザインは、他の宮殿群にも共通している。
そしてこれがメインの大宮殿。エカテリーナ2世と皇太子パーヴェルのために建てられたが、バジェノフ解任の後に主任となったカザコフの手で当初のデザインは大幅に変更され、結局未完成のままに終わった。見る者に畏怖の念さえ与える、巨大かつ端正な廃虚。
大宮殿の左手に建てられた館と宮殿本体の間をつなぐ門。
(05.03.12更新)