2006年6月9日訪問。
モスクワ市内の南東部、モスクワ川の畔に立つ現役の修道院で、元々はクレムリン内にあったスパス(救世主)修道院を15世紀後半に移転させたものである。つまり「新たな(ノヴォ)救世主(スパス)修道院」、というわけだ。
新たな修道院はコロムナ方面への街道を押さえる位置にあり、クリミア・タタールやノガイ・タタールの襲来に備える、明確に軍事的な目的を与えられていた。スパソ・アンドロニコフ修道院、ポクロフスキー修道院と並び、モスクワ東部を守る防衛ラインを構成していたのである。そして16世紀末にはクリミア汗国軍の攻撃を撃退するなど、数度の実戦を経験した。現在残る石造りの壁と塔は17世紀初頭、ミハイル・ロマノフとアレクセイ帝の時代に建設された。また、修道院にはロマノフ家黎明期の当主や親族たちが葬られ、帝室と密接な関係を保っている。
ノヴォスパスキー修道院は革命後の1918年に閉鎖となり、その施設は収容所や監獄、NKVDの文書館などに改造された。しかし1991年、修道院は再びロシア正教会に返還され、現役の宗教施設として活動する傍らで修復作業が続いている。
なお、クルチツキー府主教座跡やモスクワ川の遊覧船乗り場は、この修道院のすぐ近くにある。
通りの向こうから見たノヴォスパスキー修道院。青屋根の聖堂の左隣に写っている近代的な背の高いビルは、モスクワ川対岸に立つ音楽会館。別に、修道院の敷地内にこんな建物があるわけではない。
南東の塔。ノヴォスパスキー修道院を守る塔は、それぞれ固有の名前を持ってはおらず、単に方角で呼ばれている。
入り口。鐘楼付きの正門ではなく、壁の一部に設けられた開口部から中に入るのである。正門を使わない理由はよく分からないが、例えばズヴェニゴロドのサッヴィノ・ストロジェフスキー修道院なども同じ形式であった。
修道院入り口に設けられた案内の看板。親切だ。
内側から見た南東の塔。
(06.06.28更新)