ロシア歴史紀行アルバム47-1

リャザン


 2006年6月10日と11日に訪問。なお、今回ご紹介する写真は全て10日に撮影した。
 ロシア古代・中世史の中ではなじみの深い街だが、実は現在リャザンと呼ばれている街は、かつてのリャザンとは別の存在でペレヤスラヴリ・リャザンスキー(すなわち「リャザンのペレヤスラヴリ」)というのが現リャザンの古名なのである。史料初出は1198年で、本来のリャザンの北西部に位置する、もともとは小さな集落にすぎなかった。
 しかしながら、1237年にバトゥ率いるモンゴル軍がリャザンを攻略・破壊して以来、少しずつペレヤスラヴリの重要性が高まり、14世紀にはリャザン公国の首都機能を果たすようになった。その後、リャザン公国がモスクワ大公国に併合されると、ペレヤスラヴリは対キプチャク汗国・クリミア汗国の前線基地となり、何度となくタタール軍の襲撃を被っている。しかし、ペレヤスラヴリは最後までリャザン地方の中心都市としての意義を失わず、1778年には正式に「リャザン」と改名された。つまりは2代目のリャザンとして公に認められたわけだ。一方、かつてのリャザンの跡地は、「スターラヤ・リャザン」(古リャザン)と呼ばれて現在に至っている。


リャザンはモスクワの南東196キロの地点にあり、バスでおよそ3時間ほど。途中、コロムナを過ぎた辺りでオカ川を渡る。オカ水系はリャザン公国の発展に大きな影響を与えた。


家畜の群れが水辺に草を食む。この道中は本当にのどかな景色が多かった。


到着。この妙にギラギラしたバスセンターは街の外れに位置している。


そこから今度は市内バスに乗り、リャザン観光の中心地であるクレムリへ向かう。


クレムリへの入り口付近にあった古い劇場。

(06.07.03更新)


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