2006年6月11日訪問。
「スターラヤ・リャザン」とはすなわち「古いリャザン」の意で、キエフ・ルーシでも有数の大都市であったリャザンの跡地に他ならない。ヴォルガの支流・オカ川に面するリャザンの街は、1096年に初めて史料に登場する。リャザン諸公はチェルニゴフの支配者であったスヴャトスラフ・ヤロスラヴィチの一族から出ており、当初はリャザン自体もチェルニゴフに従属していたが、12世紀には独立した公国の首都へと成長した。リャザン公国はオカ川の中・下流を押さえ、チェルニゴフやロストフ・スーズダリといった強力な隣人たちに囲まれながらも順調な発展を見せている。
しかしながら、都市リャザンの繁栄の歴史は、1237年、唐突に終わりを告げる。この年の冬、バトゥ率いるモンゴル軍はルーシ侵攻を開始し、リャザンはその鋭峰を真先に受けることになった。大公(当時、リャザンの支配者は「大公」の称号を帯びていた)ユーリー率いる公国軍主力は野戦で壊滅、リャザンの街自体もモンゴル軍の猛攻を受けて陥落している。
そしてリャザンは、この時の打撃から遂に立ち直ることはなかった。一旦は都市として再建されたものの、度重なる襲撃が繰り返されたこともあって衰退は著しく、新たに勃興してきたペレヤスラヴリ・リャザンスキー(現リャザン)に首都機能を奪われていく。その後、リャザンは完全に都市として存在することを止め、スターラヤ・リャザンという地名にその名残りを留めているにすぎない。ただ、現在も考古学者たちが発掘を続け、消え去った都市・リャザンの輪郭を突き止めようと努力している。
スパスクからスターラヤ・リャザンまでは数キロの距離があり、さらにオカ川を渡らなくてはならない。というわけで、まずは川の渡し場まで歩くことにする。写真はスパスクを出た辺りで町を振り返ったところ。後ろから馬車が進んでくるのが鄙びていていい感じだ。
追い越された。
こうしたのどかな景色を眺めながらの道中が続く。
まだ続く。
ようやくオカ川へ行き着いた。スパスクの博物館のおばちゃんは「2キロくらい」と言っていたけど、もっと歩いた気がする。
(06.07.08更新)