ロシア歴史紀行アルバム51-1

コロムナ


 2006年6月13日訪問。
 モスクワの南東113キロ、モスクワ川とオカ川の合流点からはわずかに5キロという戦略上の要衝に位置する都市で、1177年に初めて史料に登場する。当初はリャザン公国の北部を守る拠点の1つであった。1238年のモンゴル軍襲来に際しては、リャザン公国軍の残存部隊とウラジーミルからの派遣軍がコロムナに終結し、バトゥの軍勢との間に激戦を交えている。
 14世紀に入るとコロムナはリャザンからモスクワ大公国に併合され、今度はその南東部を守る要塞としての役割りを果たすことになる。モスクワはコロムナにおいて汗国やリャザンからの侵攻を防ぎ、1380年、クリコヴォの戦いを前にドミトリー大公が軍勢を終結させたのもこの街であった。1523年から31年にかけて、つまり大公ヴァシーリー3世の時代、コロムナにはレンガ造りの大要塞が建設され、現在も一部の塔と城壁が残る。その後、国土の拡張により境界線の防衛拠点という意義は失うものの、コロムナは商工業の中心地として発展し、今もなおモスクワ州を代表する都市の1つに数えられている。


まずは出発点。モスクワのカザン駅である。ここからコロムナまでは2時間20分ほど。


到着。ゴルトゥビン駅。実は、「コロムナ」という名前の駅は1つ手前に存在しているのだが、どういうわけか街の中心となっているこの駅はゴルトゥビンと名付けられており、こちらの方がはるかに交通の便がいいのである。


ゴルトゥビンの駅舎。街の規模の割には小さな感じがする。


駅前に立つこのモニュメントは、1905年に起きた革命派の蜂起を記念している。コロムナにはソヴィエト時代以来の記念碑が多く残っていた。


モニュメントの一部。蜂起した革命派の群像(右側)は浮彫りで、逆に鎮圧する兵士たち(左側)は掘り下げて、つまり凹凸で対立するような形で表現されているのが面白い。随分と手が込んでいるものだ。

(06.07.14更新)


1/1011121314151617181920

アルバムへ戻る