ロシア歴史紀行アルバム54-1

カザン


 2006年6月16日から18日まで訪問。ただし17日はボルガール行きに費やされており、実質的にカザンを歩いたのは16・18両日ということになる。
 ロシア連邦の中でも特に有力な構成体の1つであるタタールスタン共和国の首都で、ヴォルガ川河畔に位置する100万都市。かつて、この地方ではヴォルガ・ブルガール国が繁栄を誇っており、ブルガール時代のカザンは目立たない小都市にすぎなかった。しかしながら、13世紀にブルガールがモンゴルの軍門に下ると、カザンの運命は大きく変わる。15世紀に入ってキプチャク汗国は解体し、カザンを中心としたブルガールの故地にはカザン汗国が成立するからである。カザン汗国は東西交易の要衝・ヴォルガの中流域を押さえ、ブルガール以来のイスラム文化を受け継ぎながら大きく発展していく。
 しかしながら、カザン汗国はモスクワ大公国/ロシア帝国との競合に勝ち抜くことができなかった。1552年、イヴァン雷帝率いるモスクワ大公国軍はカザンを包囲・陥落させ、これを併合したのである。カザン征服は、ロシアにとって東方への領土拡張の、そして多民族帝国化の第一歩として、大きな意味を持つものであった。その後、様々な紆余曲折を経つつもロシアの都市として発展してきたが、現在ではタタール人の民族意識が少しずつ表面に現れ、少しずつ街の輪郭も変わってきているように思われる。なお、2005年にはカザン建都1000年が祝われた(この数字に歴史的根拠は乏しいらしいが)。
 それではまず、初日・16日に撮影した写真をご紹介していきたい。


車窓より。道路の向こうに見えるのはカザンカ川で、ヴォルガ川に流れ込む支流である。カザンの街はこの川に沿って発展した。また、中州の上に立つピラミッド状のモニュメントは、1552年のカザン攻略戦に参加したロシア軍兵士に捧げられたもの。


カザンの歴史的中心・クレムリが近づいてきた。いよいよ到着だ。


「タタールスタン号」。モスクワからこの列車に乗ってやって来ました。


カザン駅。


こちらは近郊列車用の駅。緑の文字で「近郊列車駅」と書かれているが、ロシア語(手前)とタタール語の表記が並ぶ形となっている。カザンではほとんど全ての場所で両言語が並記されており、住民もバイリンガルが普通であるようだ。

(06.07.24更新)


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