2006年6月17日訪問。カザン旅行の2日目を丸々ボルガール行きに充てることになった。
ボルガールはカザンより南に140キロ、ヴォルガ川を下ったところに位置し、現在では周囲に草原の広がる小集落にすぎない。しかし、かつてヴォルガ中流からカマ下流域にかけての広大な土地を支配した、テュルク系遊牧民ブルガール人の国家、通称ヴォルガ・ブルガール国の首府が置かれていたのが、まさにこの場所だったのである。東西世界を結ぶ交易路・ヴォルガ川沿いという地の利に恵まれたブルガール国は大いに繁栄し、首都ボルガールの賑わいも当時のアラブ人旅行者などによって記録された。また、922年にアッバース朝の使者を通じてイスラム教を受け入れているため、現在でもヴォルガ地方のイスラム教徒からは聖地と見なされている。
1236年、ボルガールはバトゥ率いるモンゴル軍に攻略され、ヴォルガ・ブルガール全域がキプチャク汗国の支配下に入った。しかしボルガールの街自体は、モンゴル軍による破壊を経て甦り、再び力を取り戻した。現在も遺跡が残る石造建築物は、全て13世紀末以降に築かれたものだという。だが、その後キプチャク汗国とルーシの双方から攻撃を受けて衰退し、1431年、モスクワ大公国の軍勢は最終的にボルガールを破壊し尽くした。以来、旧ブルガール地方の中心地は完全にカザンへと移っている。
なお、現地の発音では「ボールガル」の方が正しいようだが、事典類でも「ボルガール」表記が多いため、本稿はこちらで統一してある。
これはまだカザン市内、ヴォルガ・ホテルの窓から見た光景。この日は1日晴天に恵まれた。
ヴォルガ川の港までやって来た。この船に乗ってボルガールに向かうのである。
いよいよヴォルガ川下りの始まりだ。
広大なるヴォルガ。もっとも、ソ連時代に作られたクィブィシェフ(サマラ)のダムにより水量はかなり増えているはずだが、それにしても日本では考えられないようなスケールだ。
ヴォルガを行く運搬船。ブルガールの昔から現在に至るまで、重要な物流の道であり続けているわけだ。
(06.07.27更新)